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文珠駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文珠駅
もんじゅ
Monju
焼山 (4.4 km)
(1.3 km) 西歌
地図
所在地 北海道歌志内市字文珠
北緯43度29分29.8秒 東経141度59分9.3秒 / 北緯43.491611度 東経141.985917度 / 43.491611; 141.985917座標: 北緯43度29分29.8秒 東経141度59分9.3秒 / 北緯43.491611度 東経141.985917度 / 43.491611; 141.985917
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 歌志内線
キロ程 8.3 km(砂川起点)
電報略号 モユ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1946年昭和21年)11月1日[1]
廃止年月日 1988年(昭和63年)4月25日[1]
備考 歌志内線廃線に伴い廃駅
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1976年の文珠駅と周囲500m範囲。左が砂川方面。南に見える高台の先に上砂川の市街があり、直線距離にして700 m程しか離れていない。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

文珠駅(もんじゅえき)は、北海道空知管内歌志内市字文珠にかつて置かれていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)歌志内線鉄道駅廃駅)である。電報略号モユ事務管理コードは▲131601[2]

歴史

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この地域には、三井文珠炭礦や住友歌志内炭礦の炭鉱住宅地が作られていた[3]。この地への駅設置の陳情は、1938年昭和13年)12月の当時の歌志内村の村長によるもの以来数度に渡って行われてきたが、戦前は実現せず、戦後になって両社の関係者からの強い要望により設置された[3]

年表

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駅名の由来

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地域名より。付近の文殊炭鉱に由来する。

もともと当地は開拓初期にもんぺを穿いて炭焼きを生業としていたことから、「モンペの沢」と呼ばれていた[7]。しかし、1895年明治28年)に大分出身の阿部岩次郎が当地で炭鉱を発見し、1902年(明治35年)に結城虎五郎が譲り受け、西田仁三郎・斉藤知一を加えた3者で共同経営を始めることとなった。これにあたり「三人寄れば文殊(文珠)の知恵」のことわざにちなみ炭鉱名が命名され[7][8]、その後地域名となった[9][注 1]

駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する無人駅であった。

周辺施設

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南南西2kmほどのところに上砂川支線東鶉駅があった。

駅跡

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2021年から2022年にかけて旧歌志内線のうち歌志内市にあった5駅に駅名標レプリカを駅跡地に設置する事業が行われ、当駅にも設置されている[10](文珠駅には2022年度に設置[11])。

隣の駅

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北海道旅客鉄道(JR北海道)
歌志内線
焼山駅 - 文珠駅 - 西歌駅

脚注

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注釈

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  1. ^ 文珠炭砿については西歌駅を参照のこと。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、843頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、222頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  3. ^ a b 新歌志内市史 1994年発行、P1082-1083。
  4. ^ 新歌志内市史 P1083。
  5. ^ 「日本国有鉄道公示第36号」『官報』1961年2月4日。
  6. ^ 「通報 ●歌志内線文珠駅の駅員無配置について(営業局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1961年2月4日、3面。
  7. ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、63頁。ASIN B000J9RBUY 
  8. ^ 新歌志内市史 P1434。
  9. ^ 新歌志内市史 P101-124。
  10. ^ 歌志内線の駅名標 5駅跡地に再現 市「来訪のきっかけに」”. 北海道新聞 (2022年8月19日). 2022年8月19日閲覧。[リンク切れ]
  11. ^ 令和4年度 市政執行方針”. 歌志内市. 2022年8月19日閲覧。

関連項目

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