斉藤立
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令和4年 全日本柔道選手権大会 (4月29日 日本武道館) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラテン文字 | Tatsuru SAITO | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
原語表記 | さいとう たつる | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出生地 | 大阪府 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 2002年3月8日(22歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 191cm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 170kg | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
階級 | 男子100kg超級 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所属 | 国士舘大学 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
段位 | 四段 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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斉藤 立(さいとう たつる、2002年3月8日 - )は、大阪府出身の日本の柔道家。階級は100kg超級。身長191cm。体重170kg。血液型はO型。組み手は左組み。得意技は大外刈、体落[1]。父親はオリンピックの95kg超級で2連覇を達成した斉藤仁[2][3]。
来歴
[編集]中学まで
[編集]父親の影響で、5歳の時に振武館柔道場で柔道を始めた[1]。小学校5年の時には全国小学生学年別柔道大会の45kg超級に出場するが、3回戦で福岡県代表の森健心に判定で敗れた[1]。6年の時には全国少年柔道大会の個人戦で6試合オール一本勝ちして優勝を飾った[2]。上宮中学へ進むと、2年の時には全国中学校柔道大会大阪予選の90kg超級決勝で生野中学3年の千野根有我に敗れて出場できなかった[1]。3年の時には全国中学校柔道大会で準決勝まで全て一本勝ちすると、決勝では大蔵中学3年の福永夏生をGSに入ってから指導3で破って優勝した[1]。なお、上宮中学1年の冬に父親を亡くしている[4]。
高校時代
[編集]父親と同じく上京して国士舘高校へ進むと、1年の時には全日本カデの決勝で桐蔭学園高校2年の千野根を横四方固で破って優勝した[1]。金鷲旗では6回戦で敗れた[5]。インターハイの団体戦では準決勝で桐蔭学園高校と対戦すると、相手エースの関根聖隆と引き分けるがチームは敗れて3位だった[6]。全日本ジュニアでは準決勝で東海大学3年の香川大吾に技ありで敗れるも3位になった。11月には高校1年ながらシニアの全国大会である講道館杯に初出場すると、初戦は勝利するも2回戦で日本製鉄の上田轄麻に合技で敗れた[7]。全国高校選手権の個人戦には出場しなかったが、団体戦では決勝の天理高校戦で3人抜きした副将である相手エースの中野寛太を体落で破ると、大将も内股で破ってチームの優勝に貢献した。この試合を観戦していた全日本柔道連盟会長の山下泰裕は「今まで見てきた重量級選手で可能性は最高」、強化委員長の金野潤も「父親譲りで体が強くて柔らかい。将来の日本のエース」とそれぞれコメントした[8][9]。
2年の時にはロシアジュニア国際をオール一本勝ちして初の国際大会を勝利で飾った[10]。この際に、「周りからも『東京五輪は無理じゃないか』と言われるけど、それを覆したい」と、オリンピック代表への意欲を見せた[11]。金鷲旗では決勝の天理高校戦で、中野との大将同士による対戦において大外落で一本勝ちを収めてチームの優勝に貢献した[12]。インターハイの団体戦では決勝の天理高校戦で中野との代表戦になるも、支釣込足で技ありを取られてチームは2位に終わった。個人戦では3回戦で中野を体落でリベンジして、6試合をオール一本勝ちして優勝した[13][14]。全日本ジュニアでは決勝で中野を技ありで破って優勝した[15]。世界ジュニアでは初戦でモンゴルの選手に反則勝ちするも、2回戦でヨーロッパジュニアチャンピオンであるジョージアのゲラ・ザアリシビリに開始早々の小外掛で敗れた。これにより、男子代表10人のうち1人だけメダルを獲得できなかった[16]。世界ジュニア団体戦では準決勝のジョージア戦でザアリシビリに再び小外掛で敗れて完敗した。決勝のブラジル戦は準決勝で負傷したために出場できなかったが、チームは優勝を飾った[17][18]。試合後には、「腰をけがして20日間くらい練習できず、ぶっつけ本番だった。なめていた気持ちをたたきつぶされた」とコメントした[19]。11月の講道館杯では初戦で昨年に続いて上田と対戦するも、GSに入ってから反則負けを喫した[20]。2019年3月の全日本選手権東京予選ではオール一本勝ちしてベスト8に入り(その後棄権)、2014年に当時崇徳高校2年の香川大吾が記録した17歳2か月20日を上回る史上最年少の17歳52日で本選出場を決めた[21][22]。続く全国高校選手権の個人戦には出場しなかったが、団体戦では決勝で大牟田高校と対戦すると、今大会初の出番となった大将戦において内股で一本勝ちしてチームを優勝へ導き、最優秀選手に選ばれた[23][24]。
3年の時には4月の全日本選手権に初出場を果たした。最初の2戦を一本勝ちするも、3回戦で高校の先輩でもある千葉県警の加藤博剛に小内巻込で有効を取られると、さらに後袈裟固で抑え込まれて敗れた。試合後、加藤に「先輩はつえーぞ」と声をかけられると、斉藤は悔しさのあまり「チクショー」と叫んだ[25][26]。初めてのシニア国際大会出場となった6月の東アジア選手権では、決勝で地元韓国の選手に反則負けを喫して2位だった[27]。7月の金鷲旗では決勝の大牟田高校戦において大将で登場すると、相手大将の森健心に反則勝ちしてチームを2連覇へ導いた[28][29]。8月のインターハイ団体戦では決勝の大牟田高校戦で1-2となった場面で大将で登場すると足車で一本勝ちして2-2にすると、代表戦では今大会の100kg級チャンピオンである森健心を大外刈で破ってチームを優勝へ導いた。これにより、高校団体3冠(高校選手権、金鷲旗、インターハイ)を達成することになった。個人戦では決勝で作陽高校3年の高橋翼にGSに入ってから反則勝ちするなどオール一本勝ちして2連覇を達成した[30][31][32][33]。11月の講道館杯では準々決勝で東海大学4年の太田彪雅に内股すかしで敗れると、敗者復活戦ではかつて父仁のライバルであった小川直也の息子であるパーク24の小川雄勢との二世対決となり、この試合を圧倒的に攻め込んで反則勝ちを収めた。しかしながら、3位決定戦では日本製鉄の佐藤和哉に出足払の技ありで敗れて5位にとどまった[34][35]。2020年3月の全日本選手権東京予選は腰椎椎間板ヘルニアのため出場しなかった[36]。4月の全日本選抜体重別選手権もそのため辞退することになった[37]。
大学時代
[編集]2020年4月には国士館大学へ進学した[1]。2年の時には体重別の準決勝で小川にGS含めて10分に及ぶ戦いの末に支釣込足で敗れて3位だった[38]。グランドスラム・バクーでは準々決勝で元世界2位である地元アゼルバイジャンのウシャンギ・コカウリを内股で破るなどして決勝まで進むと、タジキスタンのテムール・ラヒモフを支釣込足で破りオール一本勝ちして、IJFワールド柔道ツアー初優勝を飾った[3][39][40]。12月の体重別団体では3回戦の筑波大学戦で関根聖隆に小内巻込の技ありで敗れた。その後は出番はなかったものの、チームは勝ち上がって3位になった[41]。この際に左膝関節内側側副靱帯を損傷して、全日本選手権の出場を見合わせることになった[42]。2022年3月の東京選手権では決勝で東海大学4年の松村颯祐を足車で破って優勝した[43]。
3年の時には4月の体重別初戦で世界チャンピオンであるJRAの影浦心を合技で破ったが、準決勝で全日本チャンピオンの旭化成の太田彪雅と対戦すると、13分半にも及ぶ戦いの末に両者反則負けとなった[44][45][46]。続く全日本選手権では準々決勝でJRAの一色勇輝を合技、準決勝ではリオデジャネイロオリンピック銀メダリストの長府工産の原沢久喜に反則勝ちするなどオール一本勝ちして決勝まで進むと、決勝では14分にも及ぶ戦いの末に影浦を足車の技ありで破り石井慧、山下泰裕に次ぐ3番目の若さの20歳1ヶ月で全日本選手権初優勝を成し遂げた。父親の斉藤仁も1988年に同選手権を制しているため、史上初の親子優勝となった。なお、これにより世界選手権代表にも選出された[47][48][49]。6月の優勝大会では準決勝の天理大学戦で中野と引き分けるもチームは勝ち上がると、決勝の東海大学戦では本戦で引き分けると、その後90㎏級の村尾三四郎との代表戦になるも、16分18秒もの戦いの末に上四方固で敗れてチームは2位にとどまった[50]。7月に出場予定だったグランドスラム・ブダペストはケガを理由に回避した[51]。10月の世界選手権では準決勝で世界ランキング1位のラヒモフを上四方固で破るなど、オール一本勝ちして決勝まで進むも、キューバのアンディ・グランダに反則負けを喫して2位にとどまった[52][53]。12月開催のグランドスラム・東京はケガのため辞退した[54]。続くワールドマスターズでは決勝でラヒモフを合技で破って、オール一本勝ちして優勝した[55][56]。その直後の強化委員会で2023年の世界選手権代表に決まった[57]。2023年3月のグランドスラム・タシケントでは準決勝までオール一本勝ちするも、決勝で地元ウズベキスタンのアリシェル・ユスポフに合技で敗れて2位だった[58]。
4年の時には2連覇がかかっていた4月の全日本選手権は直後に世界選手権を控えているため出場しなかった[59]。5月の世界選手権では3回戦で元世界チャンピオンであるジョージアのグラム・ツシシビリを横四方固で破ると、準々決勝ではフランスのテディ・リネールと初対戦となるもGSに入ってから反則負けを喫した。その後の敗者復活戦でも影浦に反則負けして7位にとどまった[60][61]。続く世界団体では準々決勝のジョージア戦でツシシビリに小内刈で敗れるもチームは勝ち上がると、オランダ戦ではロイ・メイヤーを合技で破り、決勝のフランス戦でも反則勝ちを収めてチームの優勝に貢献した[62][63]。6月の優勝大会では決勝の東海大学戦で世界ジュニアチャンピオンの中村雄太に反則勝ちして、チームの16年ぶり7度目の優勝に貢献した[64]。8月のワールドマスターズでは準々決勝でツシシビリに合技で逆転勝ちするも、準決勝で伏兵であるフィンランドのマルッティ・プーマライネンに背負投で技ありを取られると、そのままスコアを取り返せず敗れて3位だった[65][66]。同じく8月には2番手以下に差を付けたと評価されて、パリオリンピックの代表に内定した。これにより、父子二代でのオリンピック代表となった[67][68]。なお、一部の強化委員から現時点での内定は時期尚早との意見も出されたことで投票になったが、賛成16、反対7により内定が決まった[69]。10月の体重別団体で自身は3戦全勝するも、チームは準決勝の筑波大学戦で敗れて3位だった[70][71]。12月のグランドスラム・東京では準決勝で韓国のキム・ミンジョンに合技で敗れると、3位決定戦はオリンピックチャンピオンであるチェコのルカシュ・クルパレクとの対戦となるも、右膝の負傷ため棄権して5位となった[72][73]。2024年3月のグランドスラム・アンタルヤでは決勝でリネールと対戦すると、指導2を先取するなど試合を優位に進めながら終盤に技ありを取られて2位にとどまった[74][75]。
社会人時代
[編集]2024年4月からはジャパンエレベーターサービスホールディングス(JES)の所属となった。5月のグランドスラム・アスタナでは決勝でラヒモフを技ありで破って優勝した[76][77]。6月には自身を含めて3人しか参加選手がいないパンナムオープン・リマに敢えて出場して優勝した。同大会の優勝により100ポイントが加算されて、世界ランキングが7位から6位となってリネールと順位が入れ替わった。そのため、パリオリンピックでは優勝候補の1人で、中立選手名義で出場予定のロシアのイナル・タソエフと準々決勝での対戦を避けることができた[78]。しかしながら、IOCがロシアによるウクライナへの軍事侵攻を積極的に支持する選手や軍関係者を除外する審査基準に該当するとしてタソエフのオリンピック出場を拒否したため、結果として対戦せずに済むことになり徒労に終わった。なお、リネールとは別ブロックとなった[79][80]。8月のパリオリンピックでは初戦でオリンピック3連覇を狙うクルパレクを内股で破ると、準々決勝ではグランダを技ありで破って雪辱を果たすも、準決勝でキム・ミンジョンに背負投で敗れた。3位決定戦ではユスポフに技ありを取られた後に腕挫十字固で敗れて5位にとどまりメダルを獲得することができなかった[81]。パリオリンピック混合団体では初戦のスペイン戦で100㎏級のニコロス・シェラザディシビリに技ありで敗れるもチームは勝ち上がると、決勝のフランス戦ではリネールに内股で敗れた。その後、代表戦となり再びリネールと対戦するも大内刈で敗れて完敗してチームも2位にとどまった[82]。
IJF世界ランキングは5820ポイント獲得で6位(24/7/22現在)[83]。
戦績
[編集]- 2013年 - 全国少年柔道大会 個人戦 6年生の部 優勝
- 2016年 - 全国中学校柔道大会 90kg超級 優勝
- 2017年 - 全日本カデ 90kg超級 優勝
- 2017年 - インターハイ 団体戦 3位
- 2017年 - 全日本ジュニア 3位
- 2018年 - 全国高校選手権 団体戦 優勝
- 2018年 - ロシアジュニア国際 優勝
- 2018年 - 金鷲旗 優勝
- 2018年 - インターハイ 個人戦 優勝 団体戦 2位
- 2018年 - 全日本ジュニア 優勝
- 2018年 - 世界ジュニア団体戦 優勝
- 2018年 - エクサンプロバンスジュニア国際 優勝
- 2019年 - 全国高校選手権 団体戦 優勝
- 2019年 - 東アジア選手権 2位
- 2019年 - 金鷲旗 優勝
- 2019年 - インターハイ 個人戦 優勝 団体戦 優勝
- 2019年 - 講道館杯 5位
- 2019年 - エクサンプロバンスジュニア国際 優勝
- 2021年 - 体重別 3位
- 2021年 - グランドスラム・バクー 優勝
- 2021年 - 体重別団体 3位
- 2022年 - 体重別 3位
- 2022年 - 全日本選手権 優勝
- 2022年 - 優勝大会 2位
- 2022年 - 世界選手権 2位
- 2022年 - ワールドマスターズ 優勝
- 2023年 - グランドスラム・タシケント 2位
- 2023年 - 世界選手権 7位
- 2023年 - 世界団体 優勝
- 2023年 - 優勝大会 優勝
- 2023年 - ワールドマスターズ 3位
- 2023年 - 体重別団体 3位
- 2023年 - グランドスラム・東京 5位
- 2024年 - グランドスラム・アンタルヤ 2位
- 2024年 - グランドスラム・アスタナ 優勝
- 2024年 - パンナムオープン・リマ 優勝
- 2024年 - パリオリンピック 5位
- 2024年 - パリオリンピック混合団体 2位
(出典[1]、JudoInside.com)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 「柔道全日本強化選手名鑑 2022」近代柔道 ベースボールマガジン社、2022年4月号
- ^ a b 「第33回全国少年柔道大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、2013年6月号
- ^ a b 斉藤仁氏の次男・立 衝撃のオール一本勝ちで柔道GS制覇 パリ五輪超級の星に名乗り スポーツニッポン 2021年11月9日
- ^ “オリンピック:初出場で金を目指す柔道の斉藤立、見守る父・仁さんの遺影にファンの目頭熱く”. 読売新聞オンライン. 読売新聞. (2024年8月2日) 2024年8月4日閲覧。
- ^ 柔道・金鷲旗
- ^ 各種データ 決勝記録
- ^ 斉藤仁さんJr、3回戦で敗退「実力で負けた」 スポーツニッポン 2017年11月13日
- ^ 柔道界に新怪物!五輪連覇・仁氏Jr.斉藤立、連続一本で決め国士舘9度目V/柔道 サンケイスポーツ 2018年3月21日
- ^ 金メダリスト斉藤仁さん次男立2連続一本勝ちV貢献 日刊スポーツ 2018年3月21日
- ^ 斉藤立、初の国際大会で優勝=五輪連覇の仁さん次男-柔道 時事通信 2018年4月16日
- ^ 斉藤仁さんジュニア「東京五輪は無理と言われるが覆したい」国際大会Vで帰国 デイリースポーツ 2018年4月20日
- ^ 金鷲旗大会、男子は国士舘が2年ぶりV/柔道 サンケイスポーツ 2018年7月24日
- ^ 最重量級の優勝候補が激突 天理・中野「最後は気持ちしかなかった」/高校総体 サンケイスポーツ 2018年8月9日
- ^ 斎藤Jr.インターハイV…100キロ超級オール一本勝ち スポーツ報知 2018年8月10日
- ^ 斉藤立が初優勝=全日本ジュニア柔道 時事通信 2018年9月9日
- ^ 関根、和田ら優勝=世界ジュニア柔道 時事通信 2018年10月21日
- ^ 日本、混合団体で優勝=柔道世界ジュニア 時事通信 2018年10月22日
- ^ Japan are crowned mixed team champions in the Bahamas
- ^ 斉藤仁さん次男立「なめていた」悔しさにじませ帰国 日刊スポーツ 2018年10月24日
- ^ 16歳の斉藤に厳しい現実「大人のうまさに負けてしまった」/柔道 サンケイスポーツ
- ^ 柔道、17歳斉藤が最年少出場へ 全日本選手権 日本経済新聞 2019年3月10日
- ^ 斉藤立、父・仁さんが昭和最後の大会を制した全日本選手権出場を決めた 平成最後「優勝狙いたい」 報知スポーツ 2019年3月10日
- ^ 男子は国士舘が2年連続10度目V 柔道高校選手権 日刊スポーツ 2019年3月21日
- ^ 斉藤ジュニア、鮮やかな内またで国士舘連覇に貢献 スポーツ報知 2019年3月21日
- ^ 17歳の斉藤ジュニア ベテランの元王者に一本負け「悔いしか残らない」 東京スポーツ 2019年4月29日
- ^ 初出場の斉藤立「何かがボーンとはじけた」 感じた父仁氏の偉大さ 西日本新聞 2019年4月29日
- ^ 斉藤立は2位=柔道東アジア選手権 時事通信 2019年6月1日
- ^ 男子は国士舘が2連覇 金鷲旗高校大会/柔道 サンケイスポーツ 2019年7月24日
- ^ 金鷲旗 男子
- ^ 柔道男子は国士舘優勝 全国高校総体第15日 産経新聞 2019年8月10日
- ^ 高校総体、斉藤立が2連覇 柔道男子100キロ超級 日本経済新聞 2019年8月11日
- ^ 斉藤立、高校総体V2でジュニア大会“卒業”「ここからが勝負」11月講道館杯専念 デイリースポーツ 2019年8月11日
- ^ 柔道 | 南部九州総体
- ^ 柔道2世対決は高校生の斉藤ジュニアに軍配 小川ジュニア反則負け デイリースポーツ 2019年11月3日
- ^ 2019年度講道館杯全日本柔道体重別選手権大会
- ^ 小川が優勝し全日本へ 柔道の東京都選手権 サンケイスポーツ 2020年3月15日
- ^ 斉藤立が欠場 選抜体重別柔道 時事通信 2020年3月17日
- ^ 2021年全日本選抜柔道体重別選手権大会
- ^ 斉藤立と増山香補がV 飯田健太郎は3決制す/柔道 サンケイスポーツ 2021年11月8日
- ^ Baku Grand Slam 2021
- ^ 国士舘、24分超の激闘制す 吉永監督「助け合うのが団体戦」 サンケイスポーツ 2021年12月8日
- ^ 斉藤立が全日本選手権欠場 「左膝関節内側側副靱帯損傷」で全治2カ月/柔道 サンケイスポーツ 2021年12月17日
- ^ 柔道体重無差別、斉藤立が初V 「まだ課題はあるが優勝できて良かった」 東京都選手権 スポーツニッポン 2022年3月14日
- ^ 斉藤仁さん次男の斉藤立、世界王者の景浦心に一本勝ちで初戦突破 内股から横四方固め 日刊スポーツ 2022年4月2日
- ^ 【柔道】小川直也氏長男の雄勢が100キロ超級で初優勝、もう1つの準決勝で両者反則負け 日刊スポーツ 2022年4月2日
- ^ 2022年全日本選抜柔道体重別選手権大会
- ^ 斉藤立、全日本柔道V 親子2代で制覇 日本経済新聞 2022年4月29日
- ^ 【代表一覧】斉藤立が100キロ超級 66キロ級は阿部一二三と丸山城志郎/柔道世界選手権 NHK 2022年4月29日
- ^ 令和4年全日本柔道選手権大会
- ^ 【柔道】東海大・村尾三四郎、全日本選手権覇者の斉藤立に一本勝ち 体重75キロ差制しV導く 日刊スポーツ 2022年6月26日
- ^ 斉藤、田中が負傷欠場 グランドスラム・ハンガリー大会/柔道 サンケイスポーツ 2022年7月3日
- ^ 斉藤は準優勝 冨田は3位―世界柔道 時事通信 2022年10月12日
- ^ 【柔道】斉藤立、日本勢初の親子2代制覇ならず 世界選手権決勝でキューバのグランダに敗れる 日刊スポーツ 2022年10月12日
- ^ 斉藤がGS東京欠場=柔道 時事通信 2022年11月24日
- ^ 柔道・斉藤立 2年連続世界代表決定的 柔道マスターズ大会で初出場初優勝 スポーツニッポン 2022年12月23日
- ^ Jerusalem Masters 2022
- ^ 23年世界柔道、日本代表が決定 阿部一二三、斉藤立、高藤直寿、素根輝らを新たに選出 スポーツ報知 2022年12月25日
- ^ 冨田、高山が優勝 男子の斉藤2位―柔道GS 時事通信 2023年3月6日
- ^ 王子谷剛志、6年ぶり4度目日本一 決勝で羽賀龍之介を下す/柔道 サンケイスポーツ 2023年4月29日
- ^ 斉藤立が絶対王者リネールに敗戦 父子制覇届かず 柔道世界選手権 スポーツニッポン 2023年5月13日
- ^ World Judo Championships - Doha 2023 Individuals 2023
- ^ 【柔道】男女混合団体戦で日本6連覇 決勝でフランスに逆転勝ち 抽選の代表戦で新添左季が勝利 日刊スポーツ 2023年5月15日
- ^ World Judo Championships - Doha 2023 Mixed Teams
- ^ 国士舘大が16年ぶり7度目の優勝 副将・斉藤立の勝利で決める 柔道全日本学生優勝大会 スポーツニッポン 2023年6月25日
- ^ 斉藤3位、影浦5位 ウルフら敗退―柔道マスターズ 時事通信 2023年8月7日
- ^ Hungary Masters 2023
- ^ 柔道 パリ五輪代表に 女子78キロ超 素根輝など 新たに6人内定 NHK 2023年8月23日
- ^ 男子100㌔超級の斉藤、女子78㌔超級の素根ら6人がパリ五輪内定/柔道 サンケイスポーツ 2023年8月23日
- ^ 柔道・鈴木桂治監督「金メダリストに仕上げる」恩師・斉藤仁氏の次男・立のパリ五輪代表内定に決意 サンケイスポーツ 2023年8月23日
- ^ 柔道・斉藤立 学生最後のタイトルを逃し涙目「この経験は自分が強くなるためにある」 スポーツニッポン 2023年10月22日
- ^ 2023年度全日本学生柔道体重別団体優勝大会
- ^ 斉藤立、右脚負傷で3位決定戦棄権「悔しい、悲しい」/柔道 サンケイスポーツ 2023年12月3日
- ^ グランドスラム東京2023
- ^ 村尾三四郎が優勝 斉藤立はリネールに屈す―柔道GS 時事通信 2024年4月1日
- ^ Antalya Grand Slam 2024
- ^ 斉藤立とウルフ・アロンがGS大会優勝/柔道 サンケイスポーツ 2024年5月13日
- ^ Qazaqstan Barysy Grand Slam 2024
- ^ 【柔道】斉藤立が優勝 パリ五輪は第6シードで出場へ 金メダル獲得への最善策 パンアメリカンOP スポーツニッポン 2024年6月23日
- ^ ロシア、柔道選手を派遣せず 最重量級のタソエフも―パリ五輪 時事通信 2024年6月29日
- ^ Russian Judo Team withdraws from Paris Olympics amid controversy over IOC athlete selection
- ^ 斉藤はメダルならず 素根、敗者復活戦を棄権―柔道 時事通信 2024年8月3日
- ^ 柔道混合団体は銀! リネールに2度敗戦の斉藤立「本当に本当に悔いが残る。顔向けできない」 スポーツニッポン 2024年8月4日
- ^ World ranking list