斎藤村 (愛知県)
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さいとうむら 斎藤村 | |
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地名の由来とされる | |
廃止日 | 1889年 |
廃止理由 |
合併 |
現在の自治体 | 扶桑町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 丹羽郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
594[1]人 (1800年代初め[1]) |
斎藤村役場 | |
所在地 | 愛知県 |
ウィキプロジェクト |
斎藤村(さいとうむら)は、愛知県丹羽郡にかつてあった村(町村制施行前の村)。
歴史
[編集]斎藤は古代、
中古、この地には一色金念寺という巨刹が建立され、村の中心となったが次第に荒廃し廃寺となった。今の金念塚はその名残であるという。後になって、慶長年間に医王山正覚寺が建立され、地域の人々の信仰を集め次第に戸口を増やし耕地も開拓された。しかしこの地も木曽川の洪水により、しばしば耕地は荒らされ人家も転々と変わった。新須、大垂、小垂、石川、下島などの地名も、これにちなんだ地名と思われる。
1607年(慶長12年)御囲堤ができてから恵まれた土地となった。また、1648年(慶安元年)木津用水が開削され、その支流がこの里の川田を潤した。寛文年間と比較して戸数、人口ともに大きく増加した。
1734年(享保19年)尾張藩領となり、1785年(天明5年)小牧代官所の支配下に入った。
沿革
[編集]地理
[編集]『天保村絵図』を見ると、村のほぼ中央に居屋敷があり、北部と西部に丑新田、午新田、亥新田など開発され検地が行われた年を示す新田がある。その他はほとんどが畑になっている。
出身者
[編集]参考文献
[編集]- 扶桑町教育委員会、扶桑町史編集委員会『扶桑町史 上』扶桑町、1998年。
脚注
[編集]- ^ a b 扶桑町教育委員会 & 扶桑町史編集委員会 1998, pp. 279.