新井茂雄
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新井茂雄 | ||||||||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||||||
フルネーム | あらい しげお | |||||||||||||||||
国籍 | 大日本帝国 | |||||||||||||||||
生年月日 | 1916年8月8日 | |||||||||||||||||
生誕地 | 静岡県沼津市 | |||||||||||||||||
没年月日 | 1944年7月19日(27歳没) | |||||||||||||||||
死没地 | ビルマ国 | |||||||||||||||||
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新井 茂雄(あらい しげお、1916年(大正5年)8月8日 - 1944年(昭和19年)7月19日[注 1])は、静岡県出身の日本の男子競泳選手。1936年ベルリンオリンピック800mフリーリレー金メダリスト、100m自由形銅メダリスト。戦前の日本競泳界を牽引した選手のひとり。 1941年に佐藤宣子と結婚したため、自身は「佐藤茂雄」とも名乗っていた。なお2人の間に一女が生まれているが、早世している。
略歴
[編集]静岡県沼津市出身[1]。静岡県立浜松農蚕学校から立教大学へと進学し[2]、1936年ベルリンオリンピック800メートルリレーで金メダルを、100メートル自由形で銅メダルを獲得した[3]。特に800メートルリレーでは遊佐正憲、田口正治、杉浦重雄とチームを組み、新井はアンカーで泳ぎ2位のアメリカを大きく引き離して8分51秒5の世界新記録をマークするなどの圧勝ぶりでもあった[4]。
このベルリンオリンピックリレーの優勝を讃えられ、新井も遊佐、田口、杉浦と共に1936年度の朝日スポーツ賞を受賞した[5]。
新井はのちに第二次世界大戦で日本陸軍へ入隊し、1944年(昭和19年)7月19日にビルマ戦線で戦死した[2]。享年27歳。新井の没後の1997年(平成9年)に国際水泳殿堂表彰者となった。
主な実績
[編集]- 1932年日本選手権 100m自由形優勝[6] 200m自由形2位
- 1936年ベルリンオリンピック 100m自由形3位 800mリレー優勝
- 1937年日本選手権 100m自由形優勝[6] 200m自由形優勝[7]
- 1937年全国学生水上競技大会 100m自由形優勝[8] 200m自由形優勝[9] 200mリレー優勝
- 1938年日本選手権 200m自由形優勝[7] 400m自由形優勝[10]
- 1938年全国学生水上競技大会 100m自由形優勝[8] 200m自由形優勝[9] 800mリレー優勝
- 1939年日本選手権 100m自由形優勝[6] 200m自由形優勝[7]
- 1939年全国学生水上競技大会 100m自由形優勝[8] 200m自由形優勝[9] 200mリレー優勝
- 1940年日本選手権 100m自由形優勝[6] 200m自由形優勝[7]
- 1940年全国学生水上競技大会 100m自由形優勝[8] 200mリレー優勝
- 1941年全国学生水上競技大会 100m自由形優勝[8] 200mリレー優勝 800mリレー優勝
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 「「戦没オリンピアン」をめぐる調査と課題 ―広島県出身選手を事例に―」9-10頁では8月30日没。
出典
[編集]- ^ 曾根 2020, 9-10頁.
- ^ a b “立教大学体育会水泳部の歴史-3”. 立教大学. 2020年10月6日閲覧。
- ^ “日本-水泳ニッポンの意地みせる”. サンケイスポーツ (2004年). 2020年10月6日閲覧。 [リンク切れ]
- ^ 次世代に伝えるスポーツ物語 第214回 水泳・ベルリン五輪競泳男子800メートルリレー [リンク切れ] - NPO法人 愛知スポーツ倶楽部、2020年(令和2年)10月6日閲覧。
- ^ 朝日スポーツ賞(1974年~1929年) - 朝日新聞社、2020年(令和2年)10月6日閲覧。
- ^ a b c d 日本選手権歴代選手権獲得者 男子 100m 自由形
- ^ a b c d 日本選手権歴代選手権獲得者 男子 200m 自由形
- ^ a b c d e 日本学生選手権 歴代選手権獲得者 男子 100m 自由形
- ^ a b c 日本学生選手権 歴代選手権獲得者 男子 200m 自由形
- ^ 日本選手権歴代選手権獲得者 男子 400m 自由形
参考文献
[編集]- 曾根幹子「「戦没オリンピアン」をめぐる調査と課題 ―広島県出身選手を事例に―」『広島市公文書館紀要』第32号、2020年、1-13頁。
- 表1 日本人戦没オリンピアン(2020年1月末日現在)(pp.9-10)