古賀学 (競泳選手)
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選手情報 | ||||||||||||||||||
フルネーム | 古賀学 | |||||||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||||||||
泳法 | 自由形 | |||||||||||||||||
所属 | 東京トヨペット | |||||||||||||||||
大学 | 早稲田大学 | |||||||||||||||||
生年月日 | 1935年4月5日 | |||||||||||||||||
生誕地 | 福岡県 | |||||||||||||||||
没年月日 | 2001年12月10日(66歳没) | |||||||||||||||||
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古賀 学(こが まなぶ、1935年4月5日 - 2001年12月10日)は、日本の元競泳選手。福岡県大川市出身。1956年メルボルンオリンピック日本代表。100m自由形の元日本記録保持者。
経歴
[編集]大川市立川口中学校、福岡県立伝習館高等学校、早稲田大学商学部卒業[1]。
1954年7月7日、ホノルルで開催されたハワイ国際招待水上競技大会で20年ぶりに高橋成夫の持つ50m自由形の日本記録を更新した[2]。
1956年日本選手権兼メルボルンオリンピック選考会の100m・200m自由形で2冠を達成し、メルボルンオリンピック日本代表に選出された。メルボルンオリンピックでは100m自由形で準決勝敗退、800mフリーリレーで4位になった[3]。
1958年アジア競技大会では100m自由形と400mメドレーリレーで2冠を達成した[4]。
1960年日本選手権兼ローマオリンピック選考会では100m自由形に出場したが、準決勝敗退だった[5]。
主な実績
[編集]種目は全て自由形
- 1952年インハイ 100m優勝 200m優勝
- 1953年日本選手権 100m2位
- 1953年インハイ 100m優勝 200m2位 200mフリーリレー優勝
- 1954年ハワイ招待 50m2位 100m2位 300mメドレーリレー優勝
- 1954年日本選手権 100m優勝 200m2位
- 1954年大阪国際 100m優勝
- 1954年インカレ 100m2位 200m優勝 200mフリーリレー優勝
- 1955年日本選手権 100m優勝 200m優勝
- 1955年日米対抗 100m2位 200m5位 400mメドレーリレー優勝 400mフリーリレー優勝・世界新 800mフリーリレー優勝
- 1955年日米対抗大阪大会 100m優勝 200m優勝 400mメドレーリレー優勝・世界新 800mフリーリレー優勝
- 1955年インカレ 100m3位 200m3位 200mフリーリレー優勝・日本新 800mフリーリレー優勝
- 1956年日本選手権兼メルボルンオリンピック選考会 100m優勝 200m優勝
- 1956年インカレ 100m優勝 200m優勝 200mフリーリレー優勝
- 1957年日本選手権 100m優勝 200m優勝
- 1957年インカレ 100m優勝 200m優勝
- 1958年アジア予選会 100m2位
- 1958年アジア大会 100m優勝 400mメドレーリレー優勝・世界新
- 1958年ロス招待 100m6位 200m5位 400mメドレーリレー優勝・世界新
- 1958年ナカマ記念大会 50m2位 100m3位 400mメドレーリレー優勝・世界新
- 1958年日本選手権 100m4位
- 1959年日本選手権 100m優勝
- 1959年日米対抗 100m3位
- 1960年日本選手権兼ローマオリンピック選考会 100m準決勝敗退
出典[6]
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 日本水泳連盟『水泳』112号、3頁
- ^ 日本水泳連盟『水泳』103・104号、28頁
- ^ 日本水泳連盟『水泳』115号、12頁
- ^ 日本水泳連盟『水泳』120号、7-9頁
- ^ 日本水泳連盟『水泳』134号、27頁
- ^ 日本水泳連盟 『水連四十年史』1969年、199-254頁
外部リンク
[編集]- 古賀学 - オリンピックチャンネル
- 古賀学 - Olympedia
- 古賀学 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 古賀学 - 世界水泳連盟
- 古賀学 - SwimRankings.net