新榎トンネル
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概要 | |
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位置 | 新潟県長岡市 |
現況 | 運用中 |
所属路線名 | 国道351号 |
起点 | 新潟県長岡市比礼 |
終点 | 新潟県長岡市麻生田町 |
運用 | |
開通 | 1988年[1] |
通行対象 | 自動車、歩行者 |
技術情報 | |
全長 | 2393.5 m[1] |
道路車線数 | 2車線(片側1車線) |
高さ | 4.7 m |
幅 | 8.5 m(全幅)[1] |
新榎トンネル(しんえのきトンネル)は新潟県長岡市の長岡地域と栃尾地域(旧栃尾市)を結ぶ、1988年(昭和63年)に開通した国道351号のトンネル。起点は同市比礼、終点は同市麻生田。
概要
[編集]従来の長岡栃尾間の森立峠や旧道となる榎峠は、冬季閉鎖や幅員が狭く流通の大きな妨げとなっていた。これを解消するために東山連峰を2,000 mを超えるトンネルを含む11,174 m[1]のバイパスによって障害の解消を図ろうとして計画された 。長岡市内では最も長いトンネルである。トンネル内は栃尾方面に向かって上り坂になっていて、直線になっているが、栃尾側は緩いカーブとなっている。また、栃尾側からはカーブ後、直線下り坂となるため、スピードが出やすい。これに伴うトンネル内での事故がよく多発する。 トンネルの掘削時には、周辺地域の崩壊しやすい地盤に苦しめられ12年という非常に長い年数がかかっている。このトンネルの開通により[注釈 1]長岡栃尾間は従来50分程度かかっていたのが、20分程度になり、また冬季間でも安全な通行が可能になるなど、当時の栃尾市民にとっては長岡へ出るのが劇的なものになった[2]。
旧道
[編集]榎峠を通る非常に幅の狭く、上り下りが激しい、ヘアピンカーブがある峠道。栃尾側よりも長岡側は勾配がきつく、比礼のトンネルを抜けた栃尾側は比較的なだらかである。峠には比礼トンネルというごく短いトンネルがあり、旧道の場合はこのトンネルのある峠の鞍部を通っているため、現道に比べるとかなり標高が高い。
歴史
[編集]- 1972年(昭和47年):新榎トンネルを含む栃尾長岡快速道路事業に着手[3][1]。
- 1976年(昭和51年)8月:着工。
- 1987年(昭和62年)2月2日 : 貫通式[4]。
- 1988年(昭和63年)8月6日:開通[5][6][7][8]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ただしトンネル開通直後は栃尾側の国道整備が未着手で、北荷頃地内の七曲りと呼ばれる旧国道を通過する必要があった。このボトルネックは1991年(平成3年)11月のバイパス完成によって解消されることとなる。
出典
[編集]- ^ a b c d e 新潟県. “管理している主な施設:新榎トンネル”. 新潟県 長岡地域振興局 地域整備部. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月14日閲覧。
- ^ 長岡市『長岡市政100年のあゆみ』長岡市、2006年版、1988年の頁
- ^ ながおか市政だより No.221 1973年1月 p.3 栃尾・長岡間快速道路 法線決まる 長岡バイパス(神田~川崎間)も - 長岡市
- ^ “広報とちお No.363 昭和62年3月号” (PDF). 栃尾市 (1987年3月10日). 2019年7月14日閲覧。
- ^ ながおか市政だより No.407 1988年7月 p.5 新榎トンネル8月6日供用開始 - 長岡市
- ^ “広報とちお No.381 昭和63年9月号” (PDF). 栃尾市. p. 10 (1988年9月10日). 2021年1月22日閲覧。
- ^ “広報とちお No.419 平成3年11月号” (PDF). 栃尾市. p. 10 (1991年11月10日). 2020年6月7日閲覧。
- ^ “広報とちお No.420 平成3年12月号” (PDF). 栃尾市. pp. 1 - 3 (1991年12月10日). 2022年1月22日閲覧。
参考文献
[編集]- “開通間近い新榎トンネル” (PDF). 栃尾市. pp. 2-5 (1987年10月10日). 2019年7月14日閲覧。 - 広報とちお No.370 昭和62年10月号
外部リンク
[編集]- 新潟県 長岡地域振興局 地域整備部
- 管理している主な施設:新榎トンネル - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)
- 新榎トンネル - 栃尾観光協会 - ウェイバックマシン(2013年12月30日アーカイブ分)