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新田仲太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

新田 仲太郎(にった なかたろう、1878年明治11年〉12月8日[1] - 1969年昭和44年〉12月2日)は、日本実業家資産家[2]愛媛県多額納税者[3]

内外汽船社長[4]、新田汽船代表[5][6]、新田中学校(現・新田高等学校)創立者。族籍は愛媛県平民[3]

経歴

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愛媛県温泉郡山西村(現在の松山市山西町)出身。新田利平の長男[5][7][8]1892年、15歳で没落寸前の新田家当主となり[9]家督を相続した[4][6]

1896年、叔父・新田長次郎が経営する新田帯革製造所のために、高松なめし用材料の調達に当たった[1]1914年迄叔父・新田長次郎の業を援け北海道十勝の新田工場工場長となり、拡張、改良、発達等を計った[10]

1914年、初めて独立して釧路西幣舞町に住し海運業に身を委ね、傍ら木材の輸出販売業を経営し、1915年5月、神戸に移り総ての営業状態を合資会社に変更した[10]

人物

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新田帯革製造所、新田ベニヤ製造所各代表社員・新田長次郎の甥である[3]。愛媛県教育文化賞、愛媛新聞賞、愛媛県功労賞等を受賞した[1]。資産家として知られた[2]。住所は兵庫県神戸市神戸区北長狭通[4][5][6][8]。宗教は真言宗[11]

家族・親族

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新田家

家系について新田仲太郎著『風雪九十年 回顧録』によると「新田家の本拠は先祖代々愛媛県松山市山西町で、ふるくから里正(庄屋)の分家の家柄であり、その新田家へ越智郡大井村の大庄屋井手家から利兵衛というひとが養子にきた。以来新田家の戸主となるものは、とおり名として“利兵衛”と呼ばれるようになった。」という[9]

  • 祖父 - 田地15・6段歩を所有した[9]。作男をつかい、耕牛数頭を飼っていた[9]
  • 祖母・うた[9]
  • 父・利平(本名・兵五郎[7][9]1853年 - ?、愛媛県平民)[5] - 新田長次郎の兄[7]。斜陽の家に育ち、百姓が嫌いな性質で、「商売が好きだ」と言って家業をかえりみなかった[9]。田地を次々と手ばなした[9]
  • 母・ウメ1860年 - ?、愛媛平民、竹内孫衛の三女)[5]
  • 弟・馬太郎加藤恒忠と外国へ出張中病の犯す所となり死亡)[10]
  • 弟・源一[12]1894年 - ?、新田商事社長) - 1915年早稲田大学大学部商科卒業[13]1917年分家[12]、住所は東京市芝区新橋[13]
  • 妹・クラ1884年 - ?、愛媛士族、澤田安蔵三男・角次郎の妻)[4]
  • 妹・トクエ1889年 - ?、澤田政義の妻)[4]
  • 妻・ヨシ1880年 - ?、愛媛平民、森松平の長女)[5]
  • 長男・長稔1901年 - ?、内外汽船取締役) - 関西学院中学部卒業、宗教は真言宗、住所は神戸市灘区上野町[11]
  • 男(1918年 - ?)[4]
  • 養子・弘之1888年 - ?、長女・タマエの夫)[5]
  • 女・タマエ1898年 - ?)[5]
  • 女(1920年 - ?)[4]
  • 孫・武治[7](新田学園名誉理事長)
親戚

著書

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  • 新田仲太郎『風雪九十年 回顧録』新田勝彦ほか、1968年。

脚注

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  1. ^ a b c 愛媛県史 人物(平成元年2月28日発行)、愛媛県生涯学習センター。
  2. ^ a b 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月1日閲覧。
  3. ^ a b c 『人事興信録 第7版』に6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年12月15日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第11版 下』ニ12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年12月15日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第6版』に7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年12月15日閲覧。
  6. ^ a b c d 『人事興信録 第9版』ニ10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月23日閲覧。
  7. ^ a b c d 川東竫弘「新田長次郎と松山高商(上)」『松山大学論集』第30巻第2号、松山大学総合研究所、2018年8月、49-112頁、ISSN 0916-3298NAID 120006523403 
  8. ^ a b 『人事興信録 第8版』ニ11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年6月1日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h 『風雪九十年 回顧録』1 - 4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月1日閲覧。
  10. ^ a b c 『愛媛県人物名鑑 第1輯 松山市、温泉郡之部』温泉郡にの部32-33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年12月20日閲覧。
  11. ^ a b c d e f 『人事興信録 第13版 下』ニ10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年12月17日閲覧。
  12. ^ a b c d e f 『人事興信録 第14版 下』ニ9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月7日閲覧。
  13. ^ a b 『早稲田大学紳士録 昭和15年版』635頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月7日閲覧。

参考文献

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  • 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 『愛媛県人物名鑑 第1輯 松山市、温泉郡之部』海南新聞社、1923-1924年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録 昭和15年版』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937-1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。