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宮崎県立日南高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日南高等学校から転送)
宮崎県立日南高等学校
地図北緯31度37分37秒 東経131度21分58.1秒 / 北緯31.62694度 東経131.366139度 / 31.62694; 131.366139座標: 北緯31度37分37秒 東経131度21分58.1秒 / 北緯31.62694度 東経131.366139度 / 31.62694; 131.366139
過去の名称 宮崎県立飫肥中学校
宮崎県立飫肥高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 宮崎県の旗 宮崎県
併合学校 宮崎県立飫肥高等女学校
宮崎県立吾田高等学校
校訓 EXCELSIOR(エクセルショー)
設立年月日 1920年(大正10年)
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学科内専門コース 探究科学コース
学期 3学期制
学校コード D145220460078 ウィキデータを編集
高校コード 45125J
所在地 889-2533
宮崎県日南市大字星倉5800
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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宮崎県立日南高等学校(みやざきけんりつ にちなんこうとうがっこう)は、宮崎県日南市大字星倉に所在する公立高等学校

概要

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歴史
1918年(大正7年)創立の高等女学校「宮崎県立飫肥高等女学校」と、1920年(大正9年)創立の旧制中学校「宮崎県立飫肥中学校」を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革で、両校が統合され新制高等学校「宮崎県立飫肥高等学校」が発足。現校名になったのは1950年昭和25年)。旧制中学校の創立した1920年(大正9年)を創立年としており、2020年創立100周年を迎えた。
設置課程・学科
全日制課程 普通科
校訓
EXCELSIOR」(エクセルショー)
校章
海のを図案化したものを背景にして、中央に「高」の文字を置いている。
校歌
作詞は矢野不二男、作曲は園山民平による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「日南」と校訓の「エクセルショー」が登場する。
同窓会
「黒潮同窓会」と称している。

沿革

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旧制中学校時代
  • 1920年(大正10年)2月 - 「宮崎県立飫肥中学校」(旧制中学校)が開校。初代校長に山本耕造が就任。
    • 定員を200名、入学資格を尋常小学校を修了した12歳以上の男子、修業年限を5年(現在の中1から高2に相当)とする。
  • 1922年(大正12年)
    • 1月 - 南那珂郡吾田村に移転。
    • 4月 - 本校と武道場が完成。
  • 1923年(大正13年)1月 - 普通教室が完成。
  • 1930年(昭和5年)10月 - 図書館が完成。
  • 1936年(昭和11年)11月 - 温室が完成。
  • 1941年(昭和16年)
    • 4月 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年(現在の中1から高1に相当)となる。
      • 同年施行された国民学校令により、入学資格が国民学校初等科を修了した12歳以上の男子に変更された。
    • 12月 - 普通教室を増築。
  • 1944年(昭和19年)4月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、中等教育令施行前に入学した在校生(新3・4年生)にも修業年限4年が適用されることとなった。
  • 1946年(昭和21年)4月 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 旧制中学校の募集を停止。
    • 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校4・5年生として在籍(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
高等女学校時代
  • 1918年(大正7年)6月 - 飫肥町立飫肥高等女学校が開校。
  • 1919年(大正8年)- 組合立飫肥高等女学校となる。
  • 1924年(大正13年)- 南那珂十六ケ町村組合飫肥高等女学校となる。
  • 1925年(大正14年)-  県立に移管し、宮崎県飫肥高等女学校となる。
  • 1928年(昭和3年)- 宮崎県立飫肥高等女学校と改称。
  • 1946年(昭和21年)4月 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 高等女学校の募集を停止。
    • 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校4・5年生として在籍(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
新制高等学校
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、飫肥中学校と飫肥高等女学校の2校が統合され、新制高等学校「宮崎県立飫肥高等学校」が発足。
    • 通常制普通課程(後の全日制課程普通科)が設置され、男女共学を実施。
    • 旧制中学校・高等女学校の卒業者(5年修了者)を新制高校3年、4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
    • 旧2校の併設中学校も統合の上、「宮崎県立飫肥高等学校併設中学校」として存続。在校生が1946年(昭和21年)に旧制中等学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月31日 - 併設中学校を廃止。
    • 4月1日 - 公立高等学校の再編により、宮崎県立吾田高等学校を統合し、農業課程(吾田校舎)とする。南郷分校が移管される。
  • 1950年(昭和25年)
    • 1月1日 - 日南市の発足により、「宮崎県立日南高等学校」(現校名)に改称。
    • 4月1日 - 商業課程(後の商業科)と家庭課程(後の家政科)を新設。水産課程が分離し宮崎県立水産高等学校として独立。
  • 1951年(昭和26年)
  • 1954年(昭和29年)9月 - 台風により体育館が全壊。
  • 1955年(昭和30年)- 商業科教室が完成。
  • 1956年(昭和31年)10月 - 新体育館が完成。
  • 1958年(昭和33年)6月 - 鉄筋コンクリート造の本館が完成。
  • 1962年(昭和37年)- 鉄筋コンクリート造の校舎を増築。
  • 1963年(昭和38年)
    • 2月 - 校旗を制定。
    • 3月 - プールが完成。
  • 1970年(昭和45年)4月1日 - 宮崎県立日南振徳商業高等学校の新設に伴い、商業科の募集を停止。
  • 1972年(昭和47年)3月31日 - 商業科を廃止。
  • 1978年(昭和53年)3月 - 新体育館が完成。
  • 1980年(昭和55年)4月 - 新管理棟が完成。旧管理棟を部室に改築。
  • 1988年(昭和63年)3月 - EXCELSIOR(校訓)石碑を建立。
  • 1991年(平成3年)3月 - 新弓道場が完成。
  • 1992年(平成4年)5月 - セミナーハウス(研修施設)が完成。
  • 1996年(平成8年)
    • 4月 - 家政科の募集を停止。
    • 9月 - 運動場の大規模改修工事を完了。
  • 1998年(平成10年)3月31日 - 家政科を廃止。
  • 2013年(平成25年)4月1日 - 普通科に探究科学コースを新設。
  • 2014年(平成26年)3月 - 太陽光パネルを設置。
  • 2020年(令和2年)創立100周年を迎える
  • 2023年(令和5年)土曜講座の廃止を決定

学校行事

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  • 9月 - エクセルシア祭(体育の部・文化の部)
  • 10月 - 無限会(強歩)

部活動

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運動部
文化部

著名な出身者

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アクセス

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最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停
最寄りの幹線道路

周辺

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  • 酒谷川
  • 向原河川緑地
  • 飫肥カトリック幼稚園
  • 日南第一公園
  • 竹香園(ちっこうえん)- 明治期の地元出身の貴族院議員、高橋源次郎の所有地であった場所を公園として整備したもの。

脚注

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  1. ^ 1952年(昭和27年)4月に「宮崎県立南郷園芸高等学校」として独立。1967年(昭和42年)に宮崎県立日南農林高等学校(二代目)の新設により生徒募集を停止し、1969年(昭和44年)3月末に閉校。
  2. ^ 以前は池田晃久の名義で活動していたが、2020年7月に改名した。紗池晃久「GHOST GIRL ゴーストガール」1巻 2020年12月4日発売!”. collabo-cafe.com (2020年11月25日). 2022年3月6日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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