コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

日吉村 (神奈川県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ひよしむら
日吉村
1935年(昭和10年)頃の慶應義塾大学日吉校舎
1935年(昭和10年)頃の慶應義塾大学日吉校舎
廃止日 1937年4月1日
廃止理由 分割編入
日吉村川崎市横浜市
現在の自治体 川崎市横浜市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
橘樹郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 5,963
国勢調査、1935年)
隣接自治体 横浜市、川崎市
橘樹郡橘村
都筑郡新田村
日吉村役場
所在地 神奈川県橘樹郡日吉村大字矢上字下
座標 北緯35度33分15秒 東経139度38分50秒 / 北緯35.55419度 東経139.64714度 / 35.55419; 139.64714 (日吉村)座標: 北緯35度33分15秒 東経139度38分50秒 / 北緯35.55419度 東経139.64714度 / 35.55419; 139.64714 (日吉村)
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示
日吉村の位置(神奈川県内)
日吉村
日吉村
日吉村位置

日吉村(ひよしむら)は、1889年明治22年)4月1日から1937年昭和12年)4月1日まで存在した神奈川県橘樹郡

概要

[編集]

神奈川県橘樹郡中部の村。現在の神奈川県横浜市港北区の北部、川崎市幸区の西部および中原区の南部にあたる。

村役場は、現在の横浜市立矢上小学校辺りの矢上橋の横浜市側にあった。これは、旧日吉村の地理的な中心部が矢上であったためとされる。

村名の由来

[編集]

佳名を採った瑞祥地名。大字駒林の金蔵寺に祀られている日吉権現に由来する。

地理

[編集]

歴史

[編集]

沿革

[編集]
  • 鎌倉時代 - 鹿嶋田郷の地名が見られる。
  • 戦国時代 - 小倉、駒林郷、矢上、箕輪の地名が見られる。
  • 江戸時代 - 鹿島田村(幕府領→江戸増上寺領、浄蓮寺領)、小倉村(幕府領→江戸増上寺領、旗本松下氏知行)、南加瀬村(旗本倉橋氏知行)、上駒林村(旗本上田氏知行→幕府領→江戸増上寺領)、中駒林村、下駒林村(旗本石川氏知行)、駒ケ橋村(幕府領、旗本杉浦氏・大河内氏知行→幕府領、旗本杉浦氏・鈴木氏知行→幕府領、誓願寺領、旗本鈴木氏知行)、矢上村(幕府領、旗本倉橋氏・松平氏・山本氏知行→幕府領、旗本倉橋氏・松平氏・鈴木氏知行→幕府領、旗本倉橋氏・松平氏・鈴木氏・大久保氏知行)、箕輪村(幕府領→旗本鈴木氏・北条氏の相給→江戸増上寺領、旗本鈴木氏知行)が成立。
  • 1868年明治元年)
    • 旧暦6月17日 - 神奈川府の管轄となる。
    • 旧暦9月21日 - 神奈川府が神奈川県に改称。
  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、鹿島田村小倉村南加瀬村、駒林村、駒ケ橋村、矢上村、箕輪村が合併して成立。
  • 1925年大正14年)5月10日 - 住吉村の一部(北加瀬)を編入。
  • 1934年(昭和09年)4月 - 慶應義塾大学日吉校舎開校。
  • 1937年昭和12年)4月1日 - 東部(鹿島田小倉、北加瀬及び南加瀬矢上矢上川より東側)が川崎市に、西部(駒ケ橋、駒林、箕輪及び南加瀬、矢上の残部)が横浜市に分割編入。横浜市に編入された区域が神奈川区になる。
  • 1939年(昭和14年)4月1日 - 横浜市神奈川区から港北区が分区。旧村域の神奈川区に属する区域は港北区になる。
  • 1972年(昭和47年)4月1日 - 川崎市が政令指定都市に指定され、旧村域の川崎市に属する区域が幸区になる。
  • 1972年(昭和47年)11月1日 - 北加瀬の一部から西加瀬が新設され中原区に編入される。
  • 1974年(昭和49年)10月15日 - 北加瀬・鹿島田・中原区苅宿の各一部から大倉町が新設され中原区に編入される。

交通

[編集]

鉄道路線

[編集]

品鶴線横須賀線湘南新宿ライン)の新川崎駅横浜市営地下鉄グリーンラインの日吉駅、日吉本町駅は、当時は未開業。

バス路線

[編集]
  • 池田利一→東京横浜電鉄

※池田利一は、個人名。

1931年(昭和6年)綱島駅 - 千年間開業。現在の子母口綱島線に相当する道路を運行。1933年(昭和8年)東京横浜電鉄に買収される。途中村内には下田バス停が存在していた。東京急行電鉄成立後の戦時中に休止し、1952年(昭和27年)道路悪化を理由に旧日吉村域を含む天満宮前 - 千年間が休止中のまま廃止された(現在の東急バス城01新城線は全く同じ区間を走っているが、廃止後新たに開業した別路線である。)。

  • 日吉乗合自動車

1938年(昭和13年)慶應義塾関係者が中心となって川崎駅西口 - 北加瀬間を開業。日吉駅まで延伸する予定であったが実現しなかった。末吉橋 - 北加瀬間が旧日吉村域にあたる。1943年(昭和18年)川崎鶴見臨港バスに合併された。現在の同社末吉橋 - ロクゴー前 - 南加瀬交番前間と南加瀬住宅前 - ひがし前 - 越路間、越路 - 北加瀬間の区間。

道路

[編集]

現在の町名

[編集]

横浜市港北区

  • 旧矢上村(一部):日吉一丁目、日吉二丁目、日吉三丁目、日吉四丁目、日吉五丁目(一部)、日吉六丁目(一部)、日吉七丁目
  • 旧駒林村:日吉本町一丁目、日吉本町二丁目、日吉本町三丁目、日吉本町四丁目、日吉本町五丁目、日吉本町六丁目
  • 旧駒ケ橋村:下田町一丁目、下田町二丁目、下田町三丁目、下田町四丁目、下田町五丁目、下田町六丁目
  • 旧箕輪村:箕輪町一丁目、箕輪町二丁目、箕輪町三丁目
  • 旧南加瀬村(一部):日吉五丁目(一部)、日吉六丁目(一部)

川崎市幸区

  • 旧矢上村(一部):矢上、南加瀬4丁目(一部)
  • 旧鹿島田村(一部):新川崎(一部)、鹿島田1丁目、鹿島田2丁目、鹿島田3丁目、小倉(一部)
  • 旧北加瀬村(一部):北加瀬1丁目、北加瀬2丁目、北加瀬3丁目、新川崎(一部)
  • 旧南加瀬村(一部):南加瀬1丁目、南加瀬2丁目、南加瀬3丁目、南加瀬4丁目(一部)、南加瀬5丁目(一部)
  • 旧小倉村:小倉、新小倉、新川崎(一部)、東小倉、小倉1丁目、小倉2丁目、小倉3丁目、小倉4丁目、小倉5丁目、鹿島田1丁目(一部)、新塚越(一部)

川崎市中原区

  • 旧矢上村(一部):木月4丁目(一部)
  • 旧鹿島田村(一部): 大倉町(一部)、市ノ坪(一部)
  • 旧北加瀬村(一部):大倉町(一部)、西加瀬、木月4丁目(一部)

関連項目

[編集]