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日本海観光フェリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本海観光フェリー株式会社
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
石川県金沢市彦三町2丁目5番27号 名鉄北陸開発ビル9階[1]
設立 1973年6月21日[1]
業種 海運業
代表者 竹内外茂(代表取締役社長)[1]
資本金 2億円[1]
主要株主 名古屋鉄道
北陸鉄道
新潟交通
佐渡汽船[1]
関係する人物 竹田弘太郎(代表取締役会長)[1]
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地図
航路 緑:フェリー 珠洲-小木

日本海観光フェリー株式会社(にほんかいかんこうふぇりー)は、かつて日本に存在した海運会社。

概要

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交通網が不足する能登半島佐渡島を結ぶカーフェリー航路の開発と能登・佐渡両地域の発展を目的として名古屋鉄道や石川県・新潟県財界の出資で1973年6月に設立され、1975年4月12日より珠洲飯田 - 小木間の航路を開設[1]

当初20万人程の利用客を見込んだが利用者数は振るわず初年度から損益分岐点の9万人を割り込む8万4千人に留まりその後は年7万人程度に下降[2]、1977年11月時点で就航以来3年間で15億円の赤字を計上[3]

1978年と1979年は、4月から10月まで、大型ホーバークラフト2隻[4]で七尾港 - 小木港間で季節運航したが[5]、1980年2月に休止申請[6]、1981年3月に廃止となっている[7]

珠洲飯田港のフェリーターミナル棟は航路廃止後も残存しレストランなどに用いられ2017年からはEAT & ART TAROにより奥能登国際芸術祭の一環で「さいはてのキャバレー」として用いられ[8]、常設作品となり案内所やイベント会場などに用いられたが、2024年に発生した能登半島地震にて全壊となっている[9]

航路

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カーフェリー時代
ホーバークラフト時代
  • 七尾港 - 和倉港 - 珠洲飯田港 - 小木港(総所要時間七尾発2時間45分・小木発2時間40分[11]
  • 4月-10月運航、4-8月2往復・9-10月1往復、2往復時は七尾 - 和倉 - 小木・七尾 - 飯田 - 小木の2ルート各1往復で運航[4]

船舶

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  • かもめ(カーフェリー)
    • 2,737総トン、全長90.5m、幅16.0m、航海速力17.5ノット[10]
    • 旅客定員通常858名・夏季1,114名、車両積載数:大型バス10台・乗用車47台または大型トラック22台・乗用車20台または乗用車86台[10]内海造船田熊工場建造[10]。1977年引退。その後韓国に売却[12]
  • しぐなす/しぐなす1号(ホーバークラフト)[4]
    • 三井造船が建造したMV-PP15型。旅客定員155名、最高時速120km、航海速力時速85km[4]。2隻とも建造元からのリースで、廃止後に返却された。船体自体は80年代前半に解体され現存しない。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 会社紹介 日本海観光フェリー株式会社 - 旅客船No.110(日本旅客船協会 1975年4月)
  2. ^ 進藤康一「珠洲における海上交通の変遷」 - 自然と社会-北陸- 44号(富山地学会・石川地理学会・福井県地理学会 1978年)
  3. ^ ニュースガイド 運輸・通信 フェリー - 新潟県年鑑1979年版(新潟日報社 1978年)81頁
  4. ^ a b c d 第二篇経済篇 第九章交通・運輸・通信 第四節海運 三 海上旅客輸送 - 石川県史 現代篇 5(石川県 1984年)
  5. ^ ニュースガイド 運輸・通信 航路 - 新潟県年鑑1979年版(新潟日報社 1978年)77頁
  6. ^ ニュースガイド 運輸・通信 - 新潟県年鑑1981年版(新潟日報社 1980年)90・95頁
  7. ^ 第二篇経済篇 第一一章交通・運輸・通信 能登関連の定期航路の変遷 - 石川県史 現代篇 6(石川県 1995年)
  8. ^ 特集山のごちそう、海のごちそう 今回の作品は、「さいはての『キャバレー準備中』です。 - ソトコト2017年11月号
  9. ^ さいはてのキャバレー解体へ 奥能登芸術祭の常設作品 地震、津波で全壊〈1.1大震災〉 - 北國新聞2024年6月17日
  10. ^ a b c d 世界の艦船(1975年5月号,p118)
  11. ^ 国鉄バス・会社線 中部地方 佐渡への航路 - 国鉄監修交通公社の時刻表1978年10月号
  12. ^ 古谷源吾「韓国の旅と旅客船事業視察」 - 旅客船145号(日本旅客船協会 1983年)