日本熱学工業
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | 日熱・ニチネツ |
本社所在地 | 大阪府大阪市北区万才町50 |
設立 | 1957年2月[1] |
業種 | 電気機器 |
事業内容 | 空調設備機器製造・販売 |
代表者 | 牛田正郎 |
主要株主 | 牛田正郎 25.1%、松下電器産業 7.0%[2] |
主要子会社 | エアロマスター |
日本熱学工業(にっぽんねつがくこうぎょう、英:Nippon Netsugakukogyo Co.Ltd)は、かつて存在した日本の空調機器製造メーカー。
静岡県静岡市にある日本熱学と福岡県北九州市にある新日本熱学とは資本・人的ともに無関係である。
沿革
[編集]1957年2月設立[1]以来空調工事・製造全般を手がけ、昭和40年代後半の空調設備ブームで急成長した。なかでもコインクーラー(商標名 エアロマスター)は同社の主力商品で、当時高価であった家庭用クーラーを各家庭にリースとして設置して、使用したい時間分100円硬貨を投入して稼動させるしくみだった。
関連会社の日本空気販売がスポンサーの特撮番組『スーパーロボット レッドバロン』でも、劇中の特撮シーンなどを使ったCMが知られている。その手軽さが好評となり普及していたが、他社の冷暖房機器の大量生産による価格の下落で一般家庭が購入しやすくなったことや、本業の空調機器工事の受注鈍化による業績悪化、石油ショックで1974年5月20日に会社更生法を申請して倒産[3][4]。
同年5月24日、労働組合と経営陣が団体交渉した後に、社長の実弟である副社長が行方不明となり、同年6月1日、青函連絡船大雪丸の船内からカバンと遺書が見つかった[5]。同年11月には更生法申請を棄却され、12月10日には代表取締役社長の牛田正郎が特別背任罪で逮捕、翌年1975年3月に破産した[1]。
工場
[編集]CM
[編集]- コインクーラー 新珠三千代・輪島大士が共演。社長の牛田正郎は輪島の後援会会長も務めていた[6]。
- 日本テレビ系の特撮番組『スーパーロボット レッドバロン』では、エアロマスターのコインクーラーを販売する総代理店の日本空気販売がスポンサーで、劇中の登場人物や特撮シーンを使ったCMも放映していた。
- 1973年 - 1974年ごろ平和台野球場の外野フェンス看板「エアロマスターの節電型メータークーラー・愛隣」を左中間側に提供していた[7]。
関連会社
[編集]- エアロマスター - 日本熱学工業の子会社で、1974年5月20日に倒産[8]
- 日本空気販売 - サントリーやワコールなど三十社の共同出資で設立した日本熱学工業の関連会社で、牛田正郎が社長だった。1974年6月14日に倒産[9]
関連著書
[編集]- 悪党の手口 - 小説・日本熱学倒産事件 牛田正郎著
スポーツ活動
[編集]→「エアロマスター硬式野球部」も参照
1963年に創部し、都市対抗野球大会にも出場し1973年の日本産業対抗野球大会では初出場初優勝を達成。在籍選手からは複数のプロ野球選手も輩出したが、日本産業対抗野球大会初優勝からわずか半年で倒産により解散となった。
出典
[編集]- ^ a b c d |1974年 牛田正郎・日名子暁「オールスター総出演 闇経済「戦後最大の謀略」(日本熱学工業倒産事件)」『別冊宝島』第186号 実録!経済犯罪 これがパクりだ!、宝島社、1993年10月、pp. 240-256。
- ^ 会社四季報 昭和49年新春号
- ^ 調査のプロが判断する危ない会社 帝国データバンク情報部編 71・72ページ 日本能率協会 1989年8月1日刊
- ^ 更生法申請直前の5月1日一部指定されたばかりであった
- ^ 「日本熱学 副社長自殺か 青函連絡船にカバン」『朝日新聞』昭和49年(1974年)6月2日朝刊、13版、19面
- ^ 石井代蔵「修羅の男」、『大関にかなう』、文春文庫、1988年5月10日、 86頁。
- ^ 君こそライオンズ&Vibrations (8分9秒目)当時はカラーフェンス広告だった
- ^ 朝日新聞 1974年5月20日 夕刊
- ^ 朝日新聞 1974年6月15日 朝刊