旧草嶺トンネル
旧草嶺トンネル Old Caoling Tunnel | |
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中華民国 文化資産 | |
登録名称 | 舊草嶺隧道 |
種類 | その他 |
等級 | 県定古蹟 |
文化資産登録 公告時期 | 2004年7月15日[1] |
位置 | 台湾新北市貢寮区と宜蘭県頭城鎮石城の境界 |
建設年代 | 1924年(大正13年)10月9日 |
材質 | 赤レンガ |
詳細登録資料 |
概要 | |
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路線 | 宜蘭線 |
位置 | 新北市貢寮区と宜蘭県頭城鎮 |
座標 |
北緯25度00分14.2秒 東経121度57分29.9秒 / 北緯25.003944度 東経121.958306度 (座標は福隆側入口) |
現況 | 廃止(自転車道として運用中) |
系統 | 台湾鉄路管理局 |
起点 | 貢寮区福隆里 |
終点 | 頭城鎮石城里浜海路七段 |
駅数 | 0 |
運用 | |
開通 | 1924年12月1日 |
閉鎖 | 1986年1月8日 |
改築 | 2007年 |
所有 | 台湾鉄路管理局→宜蘭県政府文化局 |
管理 | 台湾鉄路管理局→東北角及宜蘭海岸国家風景区管理処 |
通行対象 | 鉄道→自転車・歩行者 |
技術情報 | |
全長 | 2,167m |
軌道数 | 単線 |
軌間 | 1,067mm |
電化の有無 | 非電化 |
旧草嶺トンネル(きゅうそうれいトンネル、きゅうツァオリントンネル、繁体字中国語: 舊草嶺隧道)は台湾新北市と宜蘭県境にある全長2,167メートルの単線非電化の鉄道トンネル。日本統治時代の1924年(大正13年)10月9日に台湾総督府鉄道(現台湾鉄路管理局、以下台鉄)宜蘭線上に開通し、当時は東南アジアで最長の鉄道トンネルだった[1]。複線電化に伴う新ルート開通後は旧草嶺自転車道(繁体字中国語: 舊草嶺自行車道)というサイクリングロード)として再活用されている。
歴史
[編集]開通まで
[編集]旧草嶺トンネルは台湾鉄路管理局東部幹線(宜蘭線)の福隆駅と石城駅の間に位置する。元は三貂角近辺の海岸部を迂回する予定だったが、山腹に危険な岩石の存在が確認されたため、このルートに変更された[2][注 1]。鹿島組(現鹿島建設の前身)が施工を担当し、1921年11月28日に北側を、12月16日に南側を着工した[3][注 1]。
1924年2月21日に貫通し、翌日の貫通式には台湾総督府殖産局局長の喜多孝治や鉄道部部長の新元鹿之助、台北州知事高田富蔵などが出席した[4][注 1]。
10月9日に竣工し[5][注 1]。このトンネルは宜蘭線の重要区間であり、台湾総督府交通局鉄道部は同年11月30日に全線開業式典を開催し[6][注 1]、翌日12月1日に正式に単線非電化で営業運転を開始した[7]。同日の全通とともに貢寮庄停車場(現貢寮駅)と澳底停車場(現福隆駅)も開業している。
日本統治時代においてこのトンネルは台湾最長の鉄道トンネルで、開通時点では日本で6番目の長さだった[8][注 2]。建設中はマラリアが流行しただけでなく交通も不便(当時の宜蘭線北段の終点は双渓駅)であり、掘削期間中は作業事故やその他災害で死傷者が続出し、工期が長引いた。死亡者は11名(4名は台湾人、7名は日本人)、負傷者が366名を数え(350名が台湾人、16名が日本人)[8][注 1]、宜蘭地方の交通事情改善に伴う少なからぬ代償となった。宜蘭線が完工、開通時に台湾日日新報の記事見出しが『血と魂の結晶』であり[8]、そこからは尊い生命の形容とそれに対する哀悼の意が読み取れる。
完工前に疾病で殉職した日本人技師で現場監督の吉次茂七郎を追悼すべく[10]、トンネルの完工時は工事関係者有志により、北側入口から約90メートルの線路際に『故吉次茂七郎君之碑』が建立された[11][12](北緯25度00分18.0秒 東経121度57分29.6秒 / 北緯25.005000度 東経121.958222度)。2016年には吉次の子孫が日本から現地を訪問している[13]。
廃止
[編集]草嶺トンネルは開通後約50年にわたって台北と宜蘭を結ぶ重要な交通手段の役割を担ってきた。北廻線が開業するまでに台鉄は既に宜蘭線を縦貫線と北廻線を連結する重要幹線とみなし、将来の輸送力飽和も見据えて複線化を急ぐことになった[14]。台鉄は台湾省政府に『宜蘭線鉄路複線化工程』計画を提出し、1979年12月に行政院の認可を得た[15]。複線化事業は将来の電化を見据え、トンネル区間でも上方に架線を敷設させるための余裕空間をもたせることになった。草嶺トンネルはこの電化対応の基準を満たす高さではなく、並行して「新草嶺トンネル」を建設することになった。新草嶺トンネルは1985年に完工開通し、旧トンネルは鉄道トンネルとしての使命を終えて閉鎖された[16][注 3]
故吉次茂七郎君之碑 | 旧草嶺トンネル自転車道内部 |
自転車道として再生へ
[編集]廃止後22年間放置されてきたが、2007年に遊歩道として一般開放[18]、翌2008年8月10日には「旧草嶺隧道自転車道」として再開通[19][20]、2011年には全長20kmの「旧草嶺環状線自転車道」として東北角自転車道の一部に組み込まれ[21][22]、現在は台湾本島を一周する自転車道「環島1号線」の一部を構成しサイクリングの名所となっている。
なお、通行できるのは8:30~17:00までの時間帯となっている。
建築
[編集]本トンネルは全て赤レンガ造りで、入口上部のパラペットには石造りの装飾が施されている。全体の構造はシンプルで、華美な装飾はない。開口部は五重の赤レンガによるアーチ、その上方には扁額が施されている。北側(八堵方)には篆刻による草書体で『制天險』と刻まれ、揮毫は当時の総督府鉄道部長だった新元鹿之助によるもの[23]。南側(蘇澳方)は総督府の総務長官だった賀来佐賀太郎による揮毫『白雲飛處』がある。この題字は自転車道開通当時、交通部観光局が当時の文献を調査した解釈として『國雲飛處(国雲飛処)』という説を推したが、あまりに達筆なため市民によって頭文字が「國」か「白」で論争が起きた。2011年当時の中華民国交通部部長だった毛治国による考証で「白」説に決着した[24]。
トンネル断面は当時の伝統的な山型で、完工時の排水を意図して中央部ほど高く開口部へ緩い下り傾斜となっている。斜度は1.52-10パーミルの間[8]。また、トンネル内は南側出口の一部にカーブがある以外は大部分が直線で構成されている。
2001年には台湾歴史建築百景に選定[25]。2004年7月には宜蘭県の文化資産(県定古蹟)に指定された[1]。
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南側(石城方)入口
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北側(福隆方)入口
交通
[編集]脚注
[編集]註釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c "行政院文化建設委員會文化資產總管理處籌備處". 2010年9月9日閲覧。
- ^ “草嶺隧道に著手す 延長一哩二十鎖餘 開通は十二年度が” (第7版 ed.). 台湾日日新報. (1922年1月31日)
- ^ “十月初め頃には宜蘭線も全通せん天候を見て貫通祝賀會” (第7版 ed.). 台湾日日新報. (1922年2月22日)
- ^ “草嶺隧道貫通式” (漢文版 第6版 ed.). 台湾日日新報. (1922年2月27日)
- ^ “草嶺隧道竣工” (漢文版 第4版 ed.). 台湾日日新報. (1924年10月10日)
- ^ “宜蘭線開通式 三十日午前十一時より宜蘭公園にて舉行” (第5版 ed.). 台湾日日新報. (1924年11月25日)
- ^ "台湾総督府交通局鉄道年報. 第26回(大正13年度)", 台湾総督府交通局鉄道部, 国立国会図書館, p. 63, 1925年
- ^ a b c d e “宜蘭線の全通に就て” (夕刊第1版 宜蘭線全通紀念號 ed.). 台湾日日新報. (1924年11月30日)
- ^ "臺灣日日新報 「關鍵詞查詢(キーワード検索)」". 中央研究院. 2022年6月1日閲覧。
- ^ “現地レポート:台湾、2011自転車フェスティバルとサイクリング観光”. トラベルビジョン. (2012年1月20日)
- ^ 《職員録》(大正12年度),台湾総督府鉄道部,1923年11月15日
- ^ 故吉次茂七郎君之碑記
- ^ “吉次茂七郎監造舊草嶺隧道 曾孫女來台尋根”. 自由時報. (2016年3月30日)
- ^ “宜縣建議鐵路當局,宜蘭線應舖設雙軌,鐵路局答覆研究後決定”. 臺灣民聲日報 第2版 (國立公共資訊圖書館 數位典藏服務網). (1974年3月3日)
- ^ 交通部交通研究所:《交通年鑑》,1981年版。
- ^ 壽俊仁, ed. (1987年). "第二章 台鐵百年來完成之重大工程建設 第九節 宜蘭線雙軌工程". 臺灣鐵路百週年紀念. 臺灣鐵路管理局. pp. 106–108. 國家圖書館 臺灣記憶
- ^ 交通部臺灣鐵路管理局 (1986年6月). "大事紀要". 臺灣鐵路統計年報 (Report) (中華民國75年 ed.). 國家圖書館 政府統計資訊網. p. 400.
- ^ “舊草嶺隧道丟丟銅行走之旅 熱鬧展開”. 大紀元. (2007年6月2日)
- ^ “舊草嶺隧道自行車道明上午啟用”. 大紀元. (2008年8月9日)
- ^ 第四章 觀光資源開發與管理 第二節 國家風景特定區建設與經營管理 97年観光局年報
- ^ “組圖:舊草嶺線單車道啟用 民眾好樂”. 大紀元. (2011年10月30日)
- ^ “東北角「旧草嶺環状線自転車道」完工”. 臺灣觀光年歷 (交通部観光局). (2011年12月22日)
- ^ “鉄道見学で台日関係史を学ぼう”. Taiwan Today. (2013年7月19日)
- ^ “草嶺トンネルの題辞は「”白”雲飛處」”. 中央社 フォーカス台湾. (2011年10月30日)
- ^ 薛琴, ed. (2004年6月30日). 台灣歷史建築百景專輯. 台北市: 行政院文化建設委員會. pp. 160–161. ISBN 957-01-2749-X。 國家圖書館 臺灣記憶