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旧華頂宮邸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
旧華頂宮邸

南側庭園からの旧華頂宮邸(2023年撮影)
地図
情報
開館開所 1929年昭和4年)
所在地 243-0003
神奈川県鎌倉市浄明寺2-6-37[1]
座標 北緯35度19分5.2秒 東経139度34分11.3秒 / 北緯35.318111度 東経139.569806度 / 35.318111; 139.569806 (旧華頂宮邸)座標: 北緯35度19分5.2秒 東経139度34分11.3秒 / 北緯35.318111度 東経139.569806度 / 35.318111; 139.569806 (旧華頂宮邸)
文化財 登録有形文化財
指定・登録等日 2006年平成18年)
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旧華頂宮邸(きゅうかちょうのみやてい)は、神奈川県鎌倉市浄明寺2丁目にあるハーフティンバー様式の洋風建築物[2][3]。鎌倉市の景観重要建造物及び歴史的風致形成建造物で、国の登録有形文化財(建造物)[3]皇族から臣籍降下して華族になっていた華頂博信侯爵が1929年(昭和4年)に建設したもので、正確には宮邸だったわけではないが、華頂侯爵家の由緒が華頂宮家にあることから一般に「旧華頂宮邸」と呼ばれている[2]。現在の所有者である鎌倉市も「旧華頂宮邸」として紹介している[3]

歴史

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旧華頂宮邸の玄関

華頂宮家は1868年(明治元年)に伏見宮邦家親王の第12王子博経親王により創設された宮家だが、4代目の華頂宮博忠王が後嗣のないまま1924年(大正13年)に薨去したことで一時廃絶した。しかしその後、博忠王の弟にあたる伏見宮家出身の博信王が臣籍降下して華頂宮家の祭祀を継承した華族華頂侯爵家を創設した[4]

その華頂博信侯爵が1929年(昭和4年)に自邸として鎌倉市浄明寺2丁目、宅間ヶ谷と呼ばれる場所にある報国寺の近くに建設したのが「旧華頂宮邸」である[4]。鎌倉市に存在する戦前からの洋館としては鎌倉文学館(旧前田侯爵別邸)に次ぐ大規模な物である[1][5]。当初は常住を予定していたが、華頂侯爵夫妻(華頂博信侯爵夫人は閑院宮載仁親王第4王女華子女王。後に離婚)が実際にこの邸宅で暮らしたのは数年間だけだったという[4]

その後所有者はたびたび変わったが、1996年(平成8年)5月に鎌倉市が所有権を取得した[4][3]。2006年(平成18年)4月には鎌倉市の景観重要建造物、同年10月に国の登録有形文化財(建造物)に登録された[3]。「日本の歴史公園100選」にも選ばれている[3]。令和3年2月22日には歴史的風致形成建造物に指定された[6]

構造

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旧華頂宮邸南側の噴水と池泉

南北に伸びた谷戸の北端を入口とする[7]。主屋は木造三階建てで、洋小屋組み、外壁は木骨モルタル塗り(一部タイル貼り)、屋根は銅板一文字葺き切妻である[5]。旧篠田邸と並ぶ鎌倉のハーフティンバー様式を代表する洋風建築物である[8]。この構法は、木材で骨組みをした後、土や石や煉瓦を固めて壁にするものである[4]。北面2階の窓の上下には三角の木材を使ってX字の文様を作るなど独自の装飾要素がみられる[4]

敷地は4500平方メートルで[5]、南側には左右対称の幾何学模様のフランス式庭園が広がる[5]。1階南側中央には円孤型の手摺り子に囲まれたテラスがあり、その下にはライオンを象った噴水と池泉がある[9]

華頂侯爵が住んでいたころの資料が現存しておらず、建物内の各部屋が何に使われていたかは必ずしも明確ではないが、南側庭園に面する1階の3部屋のうち、1階南西角の部屋は恐らく食堂だったと思われる[2]。食堂内には大きな暖炉が置かれている。長いテーブルの奥には赤いソファーがあり、その背後には庭園に面する大きな窓がある[7]。天井の照明は蝋燭を模した照明になっている[7]。この部屋の逆にある1階南東角の部屋は窓が大きく取られているサンルーム風の部屋である[10]。その間にあるテラスに面した中央の部屋は採光のいい部屋で応接間だった可能性がある[9]

1階東側の玄関ホールには中央階段があり、手摺り子の笠木が流麗な曲線を描いている。戦後の所有者の一人はこの階段に惹かれて購入したと述べている[1]。2階南テラスに面する部屋はバロック様式の部屋とゴシック調の部屋が隣り合っている[11]。2階テラスのガラス扉にはアール・デコ様式の文様が描かれる[7]。また2階には畳張りの和室が2つ存在するが、竣工当時から和室だったのは北面した和室の方だけで、庭園に面した南西角の和室はもともとは洋室だったと見られている[1]

部屋の多くにはマントルピースが設置されているが、これはスチームヒーターを収納するためのものである[4]

使用人室だったと見られる数室の和室を備えた平屋が附属している[4]

公開

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庭園は休園日(年末年始、月曜・火曜日。月火が休日の場合は次の平日が休園日)をのぞいて一般公開されているが、建物内部が公開されるのは春と秋に2日ずつ(計4日)に限られる[12]。公開時間は4月から9月は10時から16時まで、10月から3月は10時から15時までである[3]

アクセスはJR鎌倉駅東口の4番バス乗り場から出る京浜急行バスの「金沢八景駅」行き、または「鎌倉霊園正門前太刀洗」行き、もしくはハイランド循環に乗車し、浄明寺で下車後、徒歩で5分から6分ほどである[1][13]報国寺の少し奥に位置する[13]。鎌倉駅から徒歩で来る場合には35分ほど[13]

無為庵

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フランス式庭園の南側には無為庵という和風の茶室が存在する。昭和初期に東京市上大崎に建造されたものだが、昭和46年にここに移築された。名前の由来は棟札に「六十五才にして浄明寺宅間ヶ谷に余生を送らんが為 無為庵主」と記されることに因る。茶室の天井は中央が八角形となっており、16本の棹縁が放射状に通り、柱等にはカリンナンテン、皮付きのといった奇木を使用している[3]。茶室の近くに立つ和風の門も茶室と一緒に移築されてきたものだが、こちらが作られたのは昭和初期より前に遡る。薬医門の冠木の両端には獅子の彫刻が掘られている[3]

この無為庵と和風庭園は、普段は非公開だが、旧華頂宮邸の建物内部公開日に合わせて一緒に公開される。ただし無為庵内に立ち入りできるのは玄関までである[3]

ロケ地

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ドラマ等の洋館のロケ地に頻繁に使用されていることで有名な場所である[14]。その理由について鎌倉市は、撮影に適した歴史や雰囲気のある洋館が東京都内にはあまり存在しないうえ、東京に近い立地がロケに適しているのが背景にあるのではないかと推測している[14]

ドラマ

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映画

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ゲーム

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アニメ

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出典

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参考文献

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  • 鈴木博之、和田久士『皇室の邸宅 御用邸・離宮・宮家の本邸・別邸・庭園…全国25カ所』JTBパブリッシング、2006年。ISBN 978-4533062483 
  • 柴田泉、萩原美寛『鎌倉の西洋館 昭和モダン建築をめぐる』平凡社 、2011年。ISBN 978-4582634617 

外部リンク

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