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早川保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
はやかわ たもつ
早川 保
本名 持田 芳男(もちだ よしお)
生年月日 (1936-04-18) 1936年4月18日(88歳)
出生地 日本の旗 日本神奈川県川崎市
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
主な作品
映画
『嵐を呼ぶ十八人』
下町の太陽
古都
『ローマに咲いた恋』
五瓣の椿
暗殺
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早川 保(はやかわ たもつ、1936年昭和11年〉4月18日[1][2] - )は、日本俳優。本名は持田 芳男(もちだ よしお)[1][2]

神奈川県[2]川崎市出身[1]慶應義塾大学[2]経済学部卒業。劇団現代座[2]俳優小劇場[2]、田村企画[2]を経て、現在はイーケーエンターテイメント所属。

人物・略歴

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慶應義塾高等学校を経て、1955年、慶應義塾大学経済学部に入学。大学在学中、演劇に興味を持ち、1956年に劇団現代座に入り、初舞台を踏む。1959年、大学卒業。翌1960年、俳優小劇場に入る。同創立メンバーの一人。

テレビドラマは大学在学中の1958年から出演歴があり、映画は1962年に初出演し、以降、数々のテレビドラマ、映画に出演し、活躍している。

俳優・探検家川口浩日本テレビ元社長の萩原敏雄は慶應義塾の同級生である[注 1]。また、慶應義塾の1年先輩にはテレビドラマ等で何度も共演した川津祐介がいた。

1972年に結婚、1男あり。

近況は明らかにされておらず、社団法人映像コンテンツ権利処理機構ホームページに不明権利者として名前が掲載されている[3]

エピソード

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  • 1963年(昭和38年)、同年公開の主演映画『ローマに咲いた恋』のロケのため、イタリアの首都ローマに行っている[4]。当時はまだ海外渡航自由化の前であった。

出演

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映画

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  • 山河あり(1962年、松竹
  • 涙を、獅子のたて髪に(1962年、松竹)
  • 山の讃歌 燃ゆる若者たち(1962年、松竹)
  • 愛と悲しみと(1962年、松竹)
  • はだしの花嫁(1962年、松竹)
  • 嵐を呼ぶ十八人(1963年、松竹)
  • 七人の刑事(1963年、松竹)
  • 虹をつかむ踊子(1963年、松竹)
  • ローマに咲いた恋(1963年、松竹)
  • あの人はいま(1963年、松竹)
  • 古都(1963年、松竹)
  • 下町の太陽(1963年、松竹)
  • 暗殺(1964年、松竹)
  • 五瓣の椿(1964年、松竹)
  • にっぽんぱらだいす(1964年、松竹)
  • ケチまるだし(1964年、松竹)
  • 落第生とお嬢さん(1964年、松竹)
  • 孤独(1964年、松竹)
  • 愛 その奇跡(1964年、松竹)
  • 雪国(1965年、松竹)
  • ぜったい多数(1965年、松竹)
  • あねといもうと(1965年、松竹)
  • おしゃべりな真珠(1965年、松竹)
  • 若い野ばら(1965年、松竹)
  • 暖春(1965年、松竹)
  • 私は負けない(1966年、大映
  • 野良犬(1966年、大映)
  • 女のみづうみ(1966年、松竹)
  • 惜春(1967年、松竹)
  • 陽のあたる坂道(1967年、日活
  • ある女子高校医の記録 妊娠(1968年、大映)
  • 成熟(1971年、大映)
  • 文学賞殺人事件 大いなる助走(1989年、東映

テレビドラマ

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など

舞台

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脚注

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注釈

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  1. ^ ただし、川口は高校で中退している。

出典

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  1. ^ a b c 早川保”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2017年1月21日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 日本タレント名鑑'82』VIPタイムズ社、1981年、162頁。全国書誌番号:83045303 
  3. ^ 社団法人映像コンテンツ権利処理機構 放送番組に出演された早川保様をさがしています
  4. ^ 「永遠の都ローマを行けば」『近代映画』1963年7月号、近代映画社[要ページ番号] 

関連項目

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外部リンク

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