明石市立松が丘小学校
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明石市立松が丘小学校 Matsugaoka elementary school | |
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北緯34度39分26.3秒 東経135度01分33.7秒 / 北緯34.657306度 東経135.026028度座標: 北緯34度39分26.3秒 東経135度01分33.7秒 / 北緯34.657306度 東経135.026028度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 明石市 |
併合学校 | 松が丘南小学校 |
設立年月日 | 1967年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B128210003899 |
校地面積 | 19,238m2[1] |
校舎面積 | 6,945m2[1] |
所在地 | 〒673-0862 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
明石市立松が丘小学校(あかししりつ まつがおかしょうがっこう)は、兵庫県明石市松が丘3丁目に所在する公立小学校。2022年度(令和4年度)の児童数は 342名となっている[2]。
概要
[編集]1967年(昭和42年)に明石市松が丘に開校した学校で、市内の小学校としては一番東側に位置し、神戸市垂水区と西区に隣接している。周辺は、丘陵地で明石市(松が丘)、神戸市垂水区(狩口台、南多聞台、神陵台)に明舞団地が開発され、 1964年(昭和39年) からの入居により人口が急増した地域で、明石海峡や淡路島も眺望できる[3]。1975年(昭和50年)人口がピークとなり[4]、 南に約1キロメートルに松が丘南小学校を分離新設して通学区域を変更する。その後、人口減少に伴い、1999年(平成11年)4月1日に松が丘南小学校を統合した。標高は約50メートル。
沿革
[編集]- 1967年(昭和42年)1月30日 - 明石市立明舞小学校(仮称)として工事着手
- 1967年(昭和42年)6月1日 - 校名が明石市立松が丘小学校と決定
- 1967年(昭和42年)9月1日 -入学式挙行、児童数28名
- 1967年(昭和42年)11月15日 - 校章決まる
- 1967年(昭和42年)12月1日 - 開校式を行う(開校記念日)
- 1968年(昭和43年)1月12日 - 校旗が完成
- 1968年(昭和43年)3月22日 - 校歌、校旗制定式を行う
- 1968年(昭和43年)8月26日 - 第2期校舎増築工事完了
- 1969年(昭和44年)4月3日 - 第3期校舎増築工事完了
- 1975年(昭和50年)4月7日 - 明石市立松が丘南小学校を分離新設
- 1999年(平成11年)1月27日 - 第1期校舎大規模改修工事完了
- 1999年(平成11年)4月1日 - 松が丘南小学校と統合(廃校後は、明石市立高齢者大学校あかねが丘学園)
- 1999年(平成11年)7月6日 - 第2期校舎大規模改修工事完了
- 2001年(平成13年)2月28日 - 第3期校舎大規模改修工事完了(西校舎南側半分)
- 2012年(平成24年)2月14日 - 体育館耐震改修工事完了
通学区域
[編集]- 松が丘1~5丁目、松が丘北町、東山町、大蔵谷奥(1番~4番)、朝霧北町(1104~1107,1109<1>,1122<6>,2811<3~19>,3777<8~11・16~23・34・58・59・62・64~76・86・190・194・201・213・215~240・253~262・270~275・291~295>[5]。
進学先中学校
[編集]卒業後は基本的に明石市立朝霧中学校に進学する。
出身人物
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “学校紹介”. 明石市立松が丘小学校. 2022年10月19日閲覧。
- ^ “令和4年度 市立小学校・中学校児童生徒数” (PDF). 明石市 (2022年5月1日). 2022年10月19日閲覧。
- ^ “松が丘小学校区の概要”. 明石市. 2020年11月6日閲覧。
- ^ “人口・世帯数等の推移”. 明舞団地のまちづくり 情報発信基地. 2020年11月6日閲覧。
- ^ “通学区域” (PDF). 明石市教育委員会 (2019年4月8日). 2019年10月24日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
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