明科フィッシングランド
明科フィッシングランド | |
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分類 | 地域活性化拠点公園 |
所在地 |
長野県 東筑摩郡 明科町(現 安曇野市 明科) |
面積 | 1.2 ha |
開園 | 1967年 (昭和42年) |
運営者 | 明科観光開発㈱ |
現況 | 1972年 (昭和47年)閉館 |
明科フィッシングランド(あかしなフィッシングランド)は,かつて長野県安曇野市明科に存在した複合娯楽施設である。
概要
[編集]1966年(昭和41年)に長野県企業局が4000万円で鉄筋コンクリート2階建て(延べ338 m2)の水族館施設を長野県水産指導所(現 長野県水産試験場)の施設内に建設。施設名を「明科フィッシングランド」とし,1967年(昭和42年)4月22日[1]に「水郷あかしな」のランドマークとして開園した。経営は明科町2割,松本電鉄株式会社8割の出資により設立した明科観光開発株式会社(昭和41年10月15日 社長=滝沢知足,資本金1000万円)が行った。水族館の周辺12,000 m2もあわせて開発し,遊園地やプール,ドライブインなどを併設した。これら観光事業の従業員数は,開園前の段階で女性12名,男性8名の計20名であった。[2]
開園当時は,物珍しさもあり,年間約12万人が入場。4月や5月の連休,お盆などには家族づれ等により賑わいをみせ,学校遠足のコースとしても利用された。
水族館には熱帯魚[3]を中心に淡水魚,海水魚約200種類が飼育され,海のない長野県で熱帯魚が鑑賞できる貴重な施設であった。
しかし,国道から離れているのに入り口がわかりにくいといったPR不足や,冬季の客足の減少に加えて,電気代や人件費など維持管理費がかさみ,1972年(昭和47年)年度末の累積赤字は約5,000万円にもなった。このため,松本電鉄株式会社は1971年(昭和46年)6月ごろから明科町に,「水族館を閉館したい」と要望。1972年(昭和47年)3月末日に,わずか5年間という短い期間で幕を閉じた[4]。
その後,水族館は明科町が買取,2,100万円で改造され,1977年(昭和52年)に近代的な公民館資料館として使用された[5]。
入園料
[編集]- 大人100円,子供50円
- 団体(30名以上)大人80円,子供30円
施設
[編集]- 水族館[3] (明るいグレーの壁に,空色を配した外観)
- 遊園地[3]
- 竜宮閣[3](水族館の2階にあったレストラン。ニジマス料理と風呂を楽しめた)
- ニジマス釣り堀(同敷地内の長野県漁連が経営していたと推察される[6])
- 猿や鹿などを集めた小さな動物舎
- 屋形船による鵜飼(鵜飼い漁 をしている写真の掲載あり[3] )
- 岩石園
- プール(明科フィッシングランド閉館後,昭和56年に明科町営の龍門淵公園プールとして開設[5])
- ドライブイン
- 犀川でのアルプスライン舟下り[2](定期船大人450円,子供350円。貸切船1隻10,000円で川魚付)
水族館で飼育されていたと思われる動物
[編集]- ブラックピラニア[2]
- レッドフィンバルブと思われる魚[3]
- ピラルク([2]には「アラピマという電気うなぎ」と紹介されているが,ピラルクの属名Arapaimaのことだと思われる)
- フンボルトペンギン[2]
- ワニ(北米産アリゲーターとあるので[2],アメリカアリゲーターだと推察される)
参考文献
[編集]- 明科町誌編纂会 編『明科町史 下巻』明科町史刊行会.(1985).p.475
- 信濃毎日新聞「明科フィッシングランド 水族館がついに閉館」1973年4月7日(土曜日)朝刊