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春梅斎北英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
署名 - 右:春江(画)、中:雪花楼 北英(画)、左:春梅斎 北英

春梅斎 北英(しゅんばいさい ほくえい、生没年不詳)とは、江戸時代大坂浮世絵師

来歴

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春好斎北洲の門人。春江、北英、春江斎、春梅斎、春梅亭、雪花楼、春陽斎と号す。作には「ふもとのゆき」、「越しのゆき」、「こしじのむめ」、「ふもとのむめ」という印章を使用する。大坂の人で立売堀一丁目に住む。作画期は文政11年(1828年)から天保7年(1836年)のおよそ九年ほどで、文政12年から春江斎北英と称し、春梅斎の号は天保4年(1833年)11月から使用している。柳斎重春と同時期に活動し、短い期間に多数の大判役者絵を版行しており、その技巧は終始巧緻で全く破綻がないと評されている。他には絵入根本の挿絵も手がける。生没年は不明だが、一説には天保8年頃没したという。

門人に春寿北寿北雪北信がおり、他に門人と推定される絵師に北西、北妙、北倒、北升、北木がいるが何れも寡作であった。北英がいなくなったことで流光斎如圭 - 松好斎半兵衛 - 春好斎北洲 - 北英と続いた上方絵の主流は断絶した。

作品

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  • 『敵討浦朝霧』七冊 絵入根本 ※天保5年(1834年)刊行
  • 『いろは仮名四谷怪談』二編10冊 絵入根本 ※天保5年刊行
  • 『■礎花木樹』(めいしょずえはなのこのした)[1]前編6冊・後編6冊 絵入根本 ※天保6年刊行
  • 孔雀三郎・中村歌右衛門」 大判錦絵 早稲田大学演劇博物館所蔵 ※文政11年正月、大坂角の芝居『天満宮梅桜松』より
  • 「団七九郎兵衛・嵐璃寛」 大判錦絵 ※天保3年(1832年)5月、大坂筑後芝居『夏祭浪花鑑』より
  • つくしノ権六・中村芝翫」 大判錦絵2枚続の内 早稲田大学演劇博物館所蔵 ※天保6年4月、大坂中の芝居『契情箱伝授』より。歌川国鶴との合作
  • 平井ごん八・嵐璃寛 小むら咲・中村富十郎」 大判錦絵 早稲田大学演劇博物館所蔵 ※天保6年9月、大坂中の芝居『双紋廓錦絵』より
市川白猿の団七九郎兵衛。文政12年(1829年)5月、大坂中の芝居『夏祭浪花鑑』より。ビルバオ美術館所蔵。
三代目中村松江の汐汲小ふじ。天保3年(1832年)9月、大坂角の芝居『行平磯馴松』より。ビルバオ美術館所蔵。
二代目澤村國太郎の春月尼、二代目中村芝翫の大星力弥。天保5年3月、大坂角の芝居『追善浅沢紫』より[2]ブルックリン美術館所蔵。

脚注

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  1. ^ ■の字は、土偏に舊の旁り。
  2. ^ ただし二代目芝翫はこのとき一座していたものの、実際にはこの役でこの芝居には出ていない[1]。興行前に作られた絵と見られる。

参考文献

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