有栖川宮織仁親王
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有栖川宮織仁親王 | |
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有栖川宮 | |
有栖川宮織仁親王 | |
続柄 | |
身位 | 親王 |
敬称 | 殿下 |
出生 |
1753年7月31日 宝暦3年7月2日 |
死去 |
1820年4月2日(66歳没) 文政3年2月20日 |
配偶者 | 鷹司富子(鷹司輔平娘) |
八重嶋 | |
常盤木 | |
千坂 | |
清瀧 | |
子女 |
高貴宮 織子女王 幸子女王 有栖川宮韶仁親王 大儀文成 承真法親王 舜仁法親王 繁宮 幾宮 尊照栄暉 煕子女王 喬子女王 弥宮 寿宮 済仁法親王 苞子女王 綽宮 万信宮 尊超入道親王 吉子女王 |
父親 | 有栖川宮職仁親王(霊元天皇皇子) |
母親 | 菖蒲小路(後藤左一郎娘) |
有栖川宮織仁親王(ありすがわのみや おりひとしんのう)は、江戸時代の皇族。有栖川宮職仁親王(霊元天皇皇子)の第7王子。世襲親王家の有栖川宮第6代当主。最後の征夷大将軍徳川慶喜の外祖父。
幼称は寿手宮(すてのみや)。宝暦12年(1762年)に桃園天皇の猶子となり、翌年に親王宣下を受ける。宝暦14年(1764年)に兵部卿、明和7年(1770年)に中務卿に就任。文化8年(1811年)に一品に昇進。翌年に出家。法名は竜淵。
書を九条尚実に学んだ。作品に「有栖川流手本」がある。
子女
[編集]外部リンク
[編集]- 『織仁親王』 - コトバンク
- 『親王・諸王略傳』織[織仁]