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有福温泉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
有福温泉
有福温泉正面
温泉情報
所在地

島根県江津市

有福温泉の位置(島根県内)
有福温泉
有福温泉
島根県地図
座標 北緯34度56分25.1秒 東経132度12分2.3秒 / 北緯34.940306度 東経132.200639度 / 34.940306; 132.200639座標: 北緯34度56分25.1秒 東経132度12分2.3秒 / 北緯34.940306度 東経132.200639度 / 34.940306; 132.200639
交通 西日本旅客鉄道山陰本線江津駅より、江津市生活バスで約35分
泉質 単純温泉
泉温(摂氏 30 - 50 °C
宿泊施設数 8
外部リンク 江津市観光案内所
特記事項 1棟貸の宿泊施設を3棟運営している「有福の宿 こととき」の宿泊施設数のカウント数は1としている。
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有福温泉(ありふくおんせん)は、島根県江津市(旧国石見国)有福温泉町にある温泉

泉質

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皮膚病やリウマチなどに効果があるとされ、美人の湯として知られていてる[1]

温泉街

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有福温泉街入口のゲート
さつき湯
御前湯

山峡の斜面に雛壇の如く旅館や民家が建ち並び、石段が入り組んでいるその景観が伊香保温泉を彷彿とさせることからから「山陰の伊香保」や「石見伊香保」の異名を取る[2][3]。美しい景観である一方、急傾斜地の崩壊や土石流の恐れがあるとして島根県によって土砂災害特別警戒区域に指定されている[4]

現在では御前湯、やよい湯、さつき湯の3軒の共同浴場が存在する[5][6]。中でも1928年(昭和3年)に作られた、タイル張りの外観の御前湯が有名である[7]。かつては旧湯や桜湯、女夫風呂という共同浴場も存在した[8][9][10]

歴史

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開湯は651年白雉2年)頃で、天竺より入朝した法道という僧侶によって発見されたとされる[5][11][12]。霊湯山福泉寺が建立された建武年間以降は寺院が慈善的に無賃にて人々を宿泊させていた[13]。なお、建武年間以前に温泉がなかったと断言する資料はないものの、それ以前は無料寿仏を安置した小堂であったとされ、起源は建武年間の霊湯山福泉寺が建立された頃であろうとする説も存在する[13][14]

永禄年間に福屋隆兼毛利氏に敗北するまでは有福の地は福屋氏の根拠地であった。福屋氏滅亡後は毛利氏の支配下にはいり、吉川元春が支配する地域となった。1580年天正8年)吉川元春が福泉寺の相続を巡った紛争の仲裁を行った際の寺領安堵状が福泉寺文書として残っている[14]

元和の頃に盛んに湧出し、諸病に効果があることが知れ渡ったことで浴客が増え、次の寛永の頃には福泉寺を再興したが、徐々に遊山保養の浴客が増えた。そのため慶安中に福泉寺は俗界となった湯谷[注釈 1]を離れ有福集落[注釈 2]に移転した。これ以降有福温泉において宿屋が建てられるようになった[13]。なお、福泉寺においては慶安年間に山が崩れて温泉が溢れて往来困難のため本尊を善徳寺に移したとする説も存在する[14]

宝暦の頃になると温泉は湯元河野氏の管理となり、このころより営利的に営業されることとなった[13]1813年(天正10年)に当地を訪れた飯田篤老によると、当時の御前湯は平民が入ることは許されていなかったという[14]

1889年明治22年)に当時の村長らが村債を興して河野家から温泉を買い入れ、有福村営となる[8]

大正の頃には16軒の旅館があり、そのいずれも内湯を有していなかった。当時の有福温泉は農村の人を華客としていたため土産物店が極めて少なく、3軒の飴屋と2軒の玩具屋のみであった[13]

1950年代までは内湯を持たない小規模な旅館のみが立ち並んでいた当地であったが、徐々に近代的なホテルが建つようになり、1970年頃には半数の旅館が内湯を持つようになった[9][15]。広島からのアクセスの良さから広島の団塊の世代は一度は行ったことがあろうと言われるほどの温泉地へと成長し、1960年から1970年代には年間30万人を集客している[16][17]1967年(昭和42年)6月には被爆者の保養施設である原爆被爆者有福温泉療養研究所が開設されている[18]

療養者向きの湯治場としての側面がある一方で他の温泉と同様に有福温泉においても花街が形成されており、古くから温泉芸妓がいたほかヌードスタジオトルコ風呂も存在した[8][19][20][21][22][23]

その後、観光客の減少やニーズの変化などにより1990年代になると10万人にまで旅行客が減少。状況を打開すべく2008年(平成20年)頃より「旅館樋口」「小川屋旅館」「三階旅館」の3旅館の経営者が中心となり共同事業として衰退しつつある温泉街の再建に取り組んだ[17]。1億7千万の再建計画を作成しカフェや貸切風呂、有福神楽の神楽殿の新設などの整備を行ったほか、大学生のインターンシップの実施や「旅館ぬしや」を加えた有福温泉の旅館4軒の空室を一括検索できる共同ウェブサイトの構築も行った[17]。これによって若い女性とカップルが増え、中高年の利用が多かった有福温泉の客層は劇的な変化を遂げ、減少を続けていた入り込み客数も年間6万5千人で下げ止まった[24]

しかし、2010年(平成22年)8月8日には旅館3棟と民家1棟が全焼する火災が発生した[25][注釈 3]。更に2013年(平成25年)には記録的豪雨[26][27][注釈 4]原爆被爆者有福温泉療養研究所の閉鎖[注釈 5]などが相次いだ。2017年(平成29年)には温泉街再生への取り組みの中心を担っていた「旅館樋口」「小川屋旅館」が廃業し、共同事業の運営をしていた有福振興が倒産したことによりカフェも閉店した[28][29]。2010年まで約2万人いた観光客は2017年以降1万人を割った[11][30]

その後2019年に「わたずや旅館」が廃業し[31]、有福温泉の旅館は「よしだや」「三階旅館」「旅館ぬしや」の3軒のみとなった。地元自治会の平均年齢も約67.5歳となり担い手不足も深刻の問題となっていた[30]

2021年に市の再生計画が官公庁補助事業に採択され、官民一体となった再生事業が始動した。官公庁の補助金などで廃業した旅館3棟をゲストハウスや露天風呂付旅館、カフェ[32][注釈 6]に改装し[33]、共同だったトイレを部屋専用にするなど既存の旅館の修復にも取り組んだ[31][34]。その後もペットと泊まれる宿やガレージ付き宿などがオープンしている[35]

ゆかりの人物

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アクセス

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山間部にあるために過去の災害時に孤立し、陸の孤島となったことがある[47]。特に旧旭町方面の島根県道50号田所国府線は有福温泉の公式ポータルサイトにおいて「大変危険ですのでご利用はお控えください」との案内がされている[48]

かつては都野津駅からもバスが出ていた他、波子駅川戸駅を結ぶ国鉄バス川本線[注釈 7]も有福温泉を経由していた[10][49][50]。また、広島からの直通のバスも運行されていた[51]

周辺

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  • 上有福のイチョウ - 市指定天然記念物[14]
  • 有福温泉・湯の町神楽殿
  • 本明城跡 - 市指定史跡[14]
  • 有福大仏[52]

脚注

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注釈

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  1. ^ 有福温泉のあるあたりの小字
  2. ^ 現在も福泉寺が存在している有福郵便局などがある集落のこと。
  3. ^ これによって「たじまや旅館」「寺部屋(てらへや)旅館」が全焼した。出火元となった「和田屋旅館」は火災当時にはすでに閉業していた。
  4. ^ この豪雨によって和食「大福」が廃業したほか、小川屋旅館では1階が浸水し半月ほどの営業休止を余儀なくされた。
  5. ^ 施設からの分湯料がなくなることによって共同管理組合の収入が減少するなどの影響があった。
  6. ^ このカフェは有福カフェの廃業に伴って有福を離れた有福カフェの元店長が再び有福に戻って開業した。
  7. ^ 1953年に運行を開始し、1969年11月に跡市から有福温泉および波子駅までの区間が廃止された。

出典

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  1. ^ 温泉と3つの外湯 of 有福温泉 よしだや”. 有福温泉 よしだや. 2024年11月8日閲覧。
  2. ^ さつき湯”. しまね観光ナビ|島根県公式観光情報サイト (2020年3月7日). 2024年11月3日閲覧。
  3. ^ 旅窓に學ぶ 西日本篇』ダイヤモンド社、1938年、85頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1256434 
  4. ^ 島根県報(1922)”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2024年11月7日閲覧。
  5. ^ a b 有福温泉”. 江津市観光協会(島根県). 2024年11月3日閲覧。
  6. ^ 江津市有福温泉浴場設置及び管理に関する条例”. www1.g-reiki.net. 2024年11月3日閲覧。
  7. ^ 温泉街のご紹介”. www2.crosstalk.or.jp. 有福温泉 旅館樋口. 2024年11月3日閲覧。
  8. ^ a b c d 木村晩翠『石見物語 : 随筆』島根評論社、1932年、122-129頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1170495 
  9. ^ a b 大石真人『病気療養温泉案内』東京堂出版、1972年、392-393頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12277480 
  10. ^ a b 新旅行案内 第16 (中国・四国・瀬戸内海)』日本交通公社、1955年、61-62頁https://dl.ndl.go.jp/pid/2984692 
  11. ^ a b 有福温泉町まちづくり協議会の概要 - 江津市ホームページ”. www.city.gotsu.lg.jp. 2024年11月3日閲覧。
  12. ^ 歴史 | 島根県 有福温泉 旅館 ぬしや【公式】”. 【公式】島根県 有福温泉 旅館 ぬしや|露天風呂・温泉旅館. 2024年11月4日閲覧。
  13. ^ a b c d e f 森信美 著、地理教材研究会 編『地理教材研究 第9輯』目黒書店、1926年、131-141頁https://dl.ndl.go.jp/pid/918897 
  14. ^ a b c d e f g h i j k 江津市誌 下巻』江津市、1982年、859-860,897-878,925-926,1027,1071-1076,1124,1126頁https://dl.ndl.go.jp/pid/9575063 
  15. ^ 温泉の事典』高風館、1953年、198頁https://dl.ndl.go.jp/pid/2986352 
  16. ^ 有福温泉の再生 ~高い志に共感”. 一般社団法人 広島県中小企業家同友会. 2024年11月8日閲覧。
  17. ^ a b c 月間ホテル旅館 2015年3月号”. 陣屋グループ. 2024年11月4日閲覧。
  18. ^ 明日への証 : 平和と幸をこどもたちに』全農林労働組合中国四国地方本部、1987年8月、18-19頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12729009 
  19. ^ a b 歴史 | 島根県 有福温泉 旅館 ぬしや【公式】”. 【公式】島根県 有福温泉 旅館 ぬしや|露天風呂・温泉旅館. 2024年11月4日閲覧。
  20. ^ 人文社観光と旅編集部 編『郷土資料事典島根県・観光と旅 (県別シリーズ ; 32)』人文社、1986年2月、99頁https://dl.ndl.go.jp/pid/9576158 
  21. ^ 三浦哲郎『ふるさと紀行』毎日新聞社、1976年、156-158頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12537920 
  22. ^ 山本祥一朗『美酒紀行』時事通信社、1983年12月、120-121頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12046520 
  23. ^ 売る春・買う春 : これでよいのか女性の人権』売春問題ととりくむ会、1981年5月、49頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12104284 
  24. ^ はばたく中小企業・小規模事業者300社/商店街30選2017 (経済産業省委託調査報告書)”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2024年11月8日閲覧。
  25. ^ 島根の「有福温泉」で火災、4棟全焼”. web.archive.org (2010年8月22日). 2024年11月3日閲覧。
  26. ^ 社長の温泉めぐり58 有福温泉(小川屋旅館) 島根県江津市有福温泉町 | 協和地建コンサルタント株式会社”. 2024年11月3日閲覧。
  27. ^ 過疎・中山間地域における観光の実態と展望 小規模温泉街 9年間の実践”. 中小企業庁. 2024年11月4日閲覧。
  28. ^ 一度は離れた江津の有福温泉で再トライ 廃業旅館を改装しカフェ 広島出身の男性が開業した「有福どりっぷ」 | 中国新聞デジタル”. 一度は離れた江津の有福温泉で再トライ 廃業旅館を改装しカフェ 広島出身の男性が開業した「有福どりっぷ」 | 中国新聞デジタル (2023年12月3日). 2024年11月3日閲覧。
  29. ^ 泊食分離の「食」を担う店へ | 株式会社EVENTOS”. www.eventos.co.jp. 2024年11月3日閲覧。
  30. ^ a b 1300年の歴史 有福温泉再生「ラストチャンス」 | 中国新聞デジタル”. 1300年の歴史 有福温泉再生「ラストチャンス」 | 中国新聞デジタル (2021年6月11日). 2024年11月3日閲覧。
  31. ^ a b 有福温泉、2旅館再起へ 江津、22年5月に担い手新たにオープン | 中国新聞デジタル”. 有福温泉、2旅館再起へ 江津、22年5月に担い手新たにオープン | 中国新聞デジタル (2021年12月28日). 2024年11月3日閲覧。
  32. ^ 一度は離れた江津の有福温泉で再トライ 廃業旅館を改装しカフェ 広島出身の男性が開業した「有福どりっぷ」 | 中国新聞デジタル”. 一度は離れた江津の有福温泉で再トライ 廃業旅館を改装しカフェ 広島出身の男性が開業した「有福どりっぷ」 | 中国新聞デジタル (2023年12月3日). 2024年11月3日閲覧。
  33. ^ 革新リポート 有福温泉再生プロジェクト 旅育拠点へ外部人材が鍵 江津支局・福新大雄 | 山陰中央新報デジタル”. 革新リポート 有福温泉再生プロジェクト 旅育拠点へ外部人材が鍵  江津支局・福新大雄 | 山陰中央新報デジタル (2022年1月24日). 2024年11月3日閲覧。
  34. ^ 江津・有福温泉再生に向け11施設改修へ 廃業旅館や空き家、リゾート施設… | 中国新聞デジタル”. 江津・有福温泉再生に向け11施設改修へ 廃業旅館や空き家、リゾート施設… | 中国新聞デジタル (2022年6月9日). 2024年11月3日閲覧。
  35. ^ 宿泊施設 | [公式]有福温泉ポータルサイト”. www.arifuku-onsen.com. 2024年11月3日閲覧。
  36. ^ 柿本人麻呂”. 江津市観光協会(島根県). 2024年11月4日閲覧。
  37. ^ 万葉とりっぷ in 石見【江津】”. しまね観光ナビ|島根県公式観光情報サイト (2023年2月15日). 2024年11月4日閲覧。
  38. ^ 善太郎逸話|浄土真宗本願寺派 浄光寺(公式ホームページ)”. 浄光寺k. 2024年11月7日閲覧。
  39. ^ 下村章雄『山陰の旅 (現代教養文庫)』社会思想研究会出版部、1962年、232-233頁https://dl.ndl.go.jp/pid/3006320 
  40. ^ 善太郎餅本店”. しまね観光ナビ|島根県公式観光情報サイト (2020年3月7日). 2024年11月7日閲覧。
  41. ^ 大西善三郎『日本の旅』大西善三郎、1983年11月、114-117頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12278655 
  42. ^ 木下利玄『木下利玄全集 散文篇』弘文堂、1940年、158-159頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1684810 
  43. ^ 佐佐木幸綱『極北の声 : 佐佐木幸綱評論集』角川書店、1976年、93-94頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12459894 
  44. ^ a b 地域研究調査報告書 : 地域文化の基礎的な比較研究 (2)』島根県立国際短期大学、1995年3月、62,68頁https://dl.ndl.go.jp/pid/2211975 
  45. ^ 織田一磨 (創作版画の人々 ; 1)』現代版画センター、1979年11月、複製木版目録頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12744907/1/33 
  46. ^ 有馬茂純『山陰 : 天ノ橋立・鳥取砂丘・大山・松江・出雲・隠岐・三瓶山・青海島・萩 (ブルー・ガイドブックス)』実業之日本社、1963年、157頁https://dl.ndl.go.jp/pid/2977194 
  47. ^ 日本テレビ. “島根豪雨 JRの橋脚流され線路が宙づりに|日テレNEWS NNN”. 日テレNEWS NNN. 2024年11月3日閲覧。
  48. ^ 交通アクセス | [公式]有福温泉ポータルサイト”. www.arifuku-onsen.com. 2024年11月3日閲覧。
  49. ^ 漢東種一郎『山陰 : カラー (山渓カラーガイド ; 49)』山と渓谷社、1972年、150-151頁https://dl.ndl.go.jp/pid/9572702 
  50. ^ 山岡通太郎『運輸と経済 43(9)』交通経済研究所、1983年9月、38-39頁https://dl.ndl.go.jp/pid/2637716 
  51. ^ 交通公論 正月(151)』交通公論社、1994年1月、46頁https://dl.ndl.go.jp/pid/2824687 
  52. ^ 有福大仏”. しまね観光ナビ|島根県公式観光情報サイト (2020年3月5日). 2024年11月4日閲覧。

外部リンク

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