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朝日村 (愛知県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あさひむら
朝日村
朝日村道路元標
朝日村道路元標
廃止日 1955年(昭和30年)1月1日
廃止理由 新設合併
朝日村、起町尾西市
現在の自治体 一宮市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
中島郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 9.98 km2.
総人口 7,725
(国勢調査、1950年10月1日)
隣接自治体 起町・萩原町祖父江町明治村
岐阜県羽島市
朝日村役場
所在地 愛知県中島郡朝日村大字明地字上平30
座標 北緯35度16分44秒 東経136度44分18秒 / 北緯35.27892度 東経136.73828度 / 35.27892; 136.73828 (朝日村)座標: 北緯35度16分44秒 東経136度44分18秒 / 北緯35.27892度 東経136.73828度 / 35.27892; 136.73828 (朝日村)
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朝日村(あさひむら)は、かつて愛知県中島郡にあった。合併で尾西市を経て、現在の一宮市南西部に該当する。

木曽川東岸の村である。東加賀野井は1887年(明治20年)に岐阜県から編入された[1]

歴史

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朝日村の成立

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1906年(明治39年)5月、玉野村、祐賀村上祖父江村明地村大徳村の一部(大字西萩原・蓮池)が合併して成立した。村名について『朝日村誌』によれば、各村とも自村に関連する名称を提案してまとまらなかった[2]。会議の時、約1年前の日本海海戦の回顧録を記した新聞があり、記事では戦艦「朝日」の功績が称えられていた[2]。その場に戦艦「朝日」に乗艦していた村出身者がいたこともあって、村名を「朝日」とする案が出た[2]。ついに意見がまとまり、「朝日村」として発足したという[2]

行政区画の変遷

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交通

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出身有名人

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脚注

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注釈

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  1. ^ 旧・西萩原村、蓮池村。大徳村の残りの地域は起町に編入。

出典

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参考文献

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  • 愛知県総務部地方課 編『市町村沿革史 ――愛知の百年――』愛知県市長会、1968年1月1日。全国書誌番号:68001904 
  • 尾西市史編さん委員会 編『尾西市史』 通史編 上巻、尾西市役所、1998年3月31日。全国書誌番号:99042381 

関連項目

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