木村繁 (作曲家)
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木村 繁 きむら しげし | |
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生誕 | 1908年5月29日[1] |
出身地 | 日本 青森県弘前市 |
死没 | 1985年[2] |
学歴 | 法政大学英文学科 卒業 |
ジャンル | 合唱曲、校歌、市町村歌 |
職業 | 作曲家、青森中央短期大学学長 |
活動期間 | 昭和時代 |
共同作業者 | 横山武夫 |
木村 繁(きむら しげし[1]、1908年5月29日 - 1985年)は、昭和時代日本の作曲家、音楽研究者。
来歴
[編集]1908年(明治41年)、弘前市に生まれる。東奥義塾再興後の1回生であり[2]、1933年(昭和8年)に法政大学英文科を卒業した後は小松耕輔、近衛秀麿らの師事を仰ぐ[1]。
1947年(昭和22年)から1969年(昭和44年)まで県立弘前高校の音楽教諭を務める傍ら津軽地方の民謡を採譜・収集し、その成果を合唱曲「津軽の旋律」として1958年(昭和33年)に陸奥新報社より刊行した[2]。作曲家としては元青森県副知事の横山武夫が作詞したものが多く、2代目「青森市民歌」をはじめ県内各地の校歌を数多く手掛けている。
県立弘前高校を定年退職した後は、青森中央短期大学学長に就任した。1985年(昭和60年)死去[2]。享年78。
著書
[編集]- 流れのまゝに わが作曲の回想(北の街社、1974年) NCID BA40814871
作品
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 合唱曲「津軽の旋律」(1958年)
自治体歌
[編集]- 青森市民歌(2代目、1957年)
- 板柳町民歌「知恵と大和」(1975年)
参考文献
[編集]- 『音楽年鑑』昭和40年版(音楽之友社、1964年) NCID BN0029282X
- 「新編弘前市史」編纂委員会 編『新編弘前市史』通史編5〈近・現代2〉(弘前市役所、2005年) NCID BN12295279