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本多忠鋒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

本多 忠鋒(ほんだ たださき、1879年(明治12年)8月26日[1] - 1930年(昭和5年)6月7日[1][2])は、日本の子爵正四位

経歴

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神戸藩最後の藩主だった本多忠貫の養子。なお、忠鋒の父である本多忠恕西尾忠受の四男)も忠貫の養子となっていた。妻は京極高徳子爵の四女・多幾子[1]

1884年(明治17年)慶應義塾幼稚舎へ入学する。1888年(明治21年)学習院へ入学し、1905年(明治38年)学習院大学科を卒業した[2]

1911年(明治44年)7月10日、貴族院子爵議員に就任し[3]研究会に所属し死去するまで在任した[2][4]

趣味は野球である。

脚注

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  1. ^ a b c 『平成新修旧華族家系大成 下巻』517頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』54頁。
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、20頁。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、38頁。

参考文献

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日本の爵位
先代
本多忠貫
子爵
神戸本多家第2代
1898年 - 1930年
次代
本多忠照