本間一咲
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1939年撮影 | |
基本情報 | |
生誕 | 1896年12月13日 |
出身地 |
日本 新潟県加茂郡新穂村 (現佐渡市) |
死没 | 1973年12月16日(77歳没) |
学歴 | 東京府青山師範学校 卒業 |
ジャンル | 市町村歌、歌謡曲、音頭、軍歌 |
職業 | 作詞家 |
本間 一咲(ほんま かずさく[1]、1896年12月13日 - 1973年12月16日)は、日本の作詞家。新潟県佐渡島出身。
来歴
[編集]1896年(明治29年)、新潟県加茂郡新穂村(現在の佐渡市)に生まれる。1918年(大正7年)に東京府青山師範学校を卒業。
東京都内で45年にわたって教員を務める傍ら作詞の懸賞公募でたびたび入選し、戦前の懸賞歌謡界では「本間さんをしらない者はモグリといわれてもしかたがない」と評される存在であったと言われる[2]。戦後は作詞と並行してふるさと詩社発行の雑誌『ふるさと』を中心に詩を発表している。
1973年(昭和48年)死去。享年78(満77歳没)。
主な作品
[編集]- 南京ねずみ(宮原禎次作曲)
- 満州開拓の歌(中山晋平作曲)
- 赤十字を讃える歌(古関裕而作曲)
- 樺太島歌(山田耕筰作曲)
- 特別攻撃隊(読売新聞社選定、東京音楽学校作曲)[3]
- 甲府市民歌[注 1](井上武士作曲)
- 芦屋市民のうた(富田砕花補作、大澤壽人作曲)[4]
- 須坂音頭(藤浦洸補作、藤山一郎作曲)[5]
- 足寄町民歌(八洲秀章作曲)[6]
- モノレールの歌(下元彬人作曲 東京モノレール開業記念楽曲)[7]