杉木喬
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杉木 喬(すぎき たかし、1899年1月5日 - 1968年9月12日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。立教大学名誉教授[1]。立教女学院短期大学学長、日本アメリカ文学会会長[2]を務めた。
人物・経歴
[編集]東京・赤坂新町出身[2]。1923年(大正12年)早稲田大学露文科卒業、1931年(昭和6年)立教大学文学部英文科卒業[2]。 立教大学で高垣松雄に師事し[2]、岡倉由三郎(岡倉天心の実弟)にも学んだ[3]。
巣鴨高商専門学校(現・千葉商科大学)教員を経て、1940年(昭和15年)立教大学講師、翌年助教授[2]。
1942年(昭和17年)立教大学教授に就任。その後、同大学文学部英米文学科科長を務め、1956年(昭和31年)には、フルブライトリサーチスカラーとしてハーバード大学及びデューク大学で研究に従事した。米国滞在中のニューヨークでは、元立教大学教授でジャパン・ソサエティ理事を務めるダグラス・オーヴァトンとも交流し、偶然アメリカを訪問していたポール・ラッシュにも会った。オーヴァトンにはデューク大学教授のブライバンディ(政治学)の紹介状をもらい、親交を深めた。ブライバンディは1947年(昭和22年)に立教大学に来ており、総長であった佐々木順三にも会っている[4]。
1964年(昭和39年)に定年となり立教女学院短期大学学長を務めた[2]。1963年(昭和38年)には日本アメリカ文学会会長に就任した[2]。
著書
[編集]- 『ホヰットマン』(研究社出版、英米文学評伝叢書) 1937
- 『アメリカ戯曲史』(研究社、英米文学語学講座) 1941
- 『アメリカ文学試論』(大興社、今日のアメリカ文学) 1946
共編著
[編集]翻訳
[編集]- 『街の風景』(エルマー・ライス、健文社) 1936
- 『秋の求婚』(アースキン・コールドウェル、改造社) 1940
- 『アダノの鐘』(ジョン・ハーシー、東西出版社) 1949
- 『アダムの日記』(マーク・トウェイン、龍口直太郎共訳、八雲書店) 1949
- 『タバコ・ロード』(コールドウェル、岩波書店 1952、岩波文庫) 1958
- 『村に学校ができた』(E・ターシス、岩波少年文庫) 1953
- 『苺の季節 / 秋の求婚』(コールドウエル、角川文庫) 1953
- 『水のこどもたち / ふしぎの国のアリス / 幸福な王子』(キングスリ / ルイス・キャロル / ワイルド、同和春秋社、わたくしたちの世界名作童話全集4 イギリス篇) 1955
- 『苦しい思い出』(ジェイムズ・サーバー、荒地出版社、現代アメリカ文学全集4)1957
- 『田舎医者 / 自由』(セオドア・ドライサー、滝川元男共訳、英宝社) 1957
- 『ある青年の冒険』(ジョン・ドス・パソス、荒地出版社、現代アメリカ文学全集17) 1958、のち新版『現代アメリカ文学選集7』 1968
- 『トムじいやの小屋』(ストウ夫人、岩波少年文庫) 1958
- 『画廊』(J・H・バーンズ、飯島淳秀共訳、岩波書店) 1959
- 『廿日鼠と人間』(スタインベック、角川文庫) 1960
- 『小公子』(バーネット夫人、講談社、少年少女新世界文学全集) 1963
- 『ハックルベリーの冒険』(マーク・トウェーン、講談社、少年少女世界名作全集) 1963
- 『ホイットマン自選日記』上・下(ホイットマン、岩波文庫) 1967 - 1968、度々復刊
- 『子鹿物語』(マージョリ・ローリングス、ポプラ社) 1969
- 『草の葉』上・中・下(ホイットマン、鍋島能弘・酒本雅之共訳、岩波文庫)1968 - 1971 - 上巻のみ担当