杉本信夫
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杉本 信夫(すぎもと のぶお、1934年2月1日[1][2] - 2022年11月1日)は、日本の作曲家。沖縄伝承音楽の研究家[3]としても知られ、沖縄県立芸術大学、沖縄国際大学で非常勤講師、三板協会の会長、御座楽復元演奏研究会特別会員も務める[4]。
略歴
[編集]日本大学芸術学部に入学するも中退し、東洋音楽短期大学を卒業する[1]。同短大にて箕作秋吉、アルベルト・レオーネに師事[2]。東京都葛飾区立立石中学校で教諭を勤める[1]かたわら、沖縄民謡に関心を抱き、当時アメリカ合衆国の施政権下に置かれていた沖縄を何度も訪問。沖縄返還同盟の全国理事として沖縄復帰運動に参加[5][2]。東京では三板を作成、販売し復帰運動の活動資金に充てると共に、沖縄滞在中には地元の人から民謡を聞き取って譜面に起こす作業を続けた[5]。
1964年以来、沖縄県内の島々を回り、わらべうた、神歌、作業歌といった沖縄伝承音楽を採集し、譜面に起こして保存に努めてきた功績から、2006年には東恩納寛惇賞を受賞する[1][4]。
2022年11月1日、老衰のため糸満市大里の自宅で死去[6]。88歳没。
著作
[編集]- 沖縄の民謡 (新日本出版社、1974年)
- 歌曲集とんやま節: 未解放部落に伝わる抵抗の歌 (あゆみ出版、1975年)
- 三味線教本: だれでもひける楽しめる 子どもたちの三味線合奏とともに (あゆみ出版、1976年)
- 鹿児島・沖縄のわらべ歌 (日本わらべ歌全集26 共著:久保けんお、高江州義寛(柳原出版、1980年、ISBN 978-4840900263)
- 論考
作曲
[編集]- われらその道を行く -日本共産党を主題とする歌- (作詞:片羽登呂平 1967年)[9][10]
- ギター合奏のための組曲『沖縄の印象』(1969年)[11]
- 『光り輝き希望に燃えて』 大成ホーム(沖縄県浦添市)社歌[12]
出典・脚注
[編集]- ^ a b c d e f g “杉本信夫氏に決定 沖縄伝承音楽を保存・研究 東恩納寛惇賞”. 琉球新報. (2006年2月4日) 2016年7月14日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b c d 「沖縄の民謡」(新日本出版社、1974年)巻末著者紹介より。
- ^ “クラシックファンを魅了 フルートとピアノの夕べ”. 八重山毎日新聞. (2009年12月5日) 2016年7月14日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b “杉本信夫氏に贈呈 東恩納寛惇賞”. 琉球新報. (2006年2月18日) 2016年7月14日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b 与那嶺路代 (2013年5月16日). “沖縄を沖縄へ返せ 杉本さん、東京から支えた運動”. 琉球新報 2016年7月14日閲覧。
- ^ a b c d “杉本信夫さん死去 88歳 沖縄の古謡採集”. 沖縄タイムス+プラス. (2022年11月3日) 2022年11月3日閲覧。
- ^ “三板(サンバ)のリズムで健康づくり”. 糸満市 (2007年11月13日). 2016年7月19日閲覧。
- ^ 崎浜靖 (2007年11月21日). “平成19年11月 第2296号(11月21日)■研究成果を地域へ還元 -3-”. 教育学術新聞. 日本私立大学協会. 2016年7月14日閲覧。
- ^ 日本共産党創立45周年記念作品・入選作。日刊紙「赤旗」1967年7月18日号(第5面)および、「文化評論」1967年10月臨時増刊号(第209ページ)に発表・楽譜掲載。
- ^ 国際楽譜ライブラリープロジェクト Warera sono michi wo yuku (Sugimoto, Nobuo)
- ^ 『ギターの友』2006年12月号(ギターの友社)
- ^ “理念・社歌 会社概要”. 大成ホーム. 2016年7月19日閲覧。