杉森万之輔
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杉森万之輔 すぎもり まんのすけ | |
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生年月日 | 1884年11月21日 |
出生地 | 日本 三重県 |
没年月日 | 不明 |
出身校 | 上野中学卒業 |
前職 | 上野町助役 |
現職 |
上野信用金庫理事長 (現・北伊勢上野信用金庫) |
称号 | 勲五等双光旭日章 |
初代 上野市長 | |
在任期間 | 1941年11月29日 - 1946年11月18日 |
在任期間 | 1939年11月 - 1941年9月 |
杉森 万之輔(萬之輔、すぎもり まんのすけ、1884年(明治17年)11月21日[1][2] - 没年不明[2])は、昭和時代前期の政治家、俳人。三重県上野市長。雅号は干柿[3]。
経歴
[編集]三重県出身[4]。上野中学(現三重県立上野高等学校)を卒業する[4]。
上野町助役となり、全国に先駆け上下水道の完成、町営塵芥焼却炉、町立保育園の建設、公共的企業の創設や育成、伊賀文化産業城の建設などに尽力した[1]。
1939年(昭和14年)11月、同町長となった[1]。1941年(昭和16年)9月に町長を退任した[5]。同年11月29日、周辺自治体との合併で発足した上野市の初代市長となった[1]。
町長時代には市制施行の実現、市長に就任後は市民福祉の向上、地域産業の育成、工場誘致や市域拡張の諸政策を遂行した[1]。1946年(昭和21年)11月18日に市長を辞職した[1]。1967年(昭和42年)9月10日、上野市名誉市民の称号を受けた[1]。1969年(昭和44年)の受勲時は上野信用金庫(現・北伊勢上野信用金庫)理事長として信用金庫業に従事[6]。
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み 第2巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 日外アソシエーツ 2022, 256頁.
- ^ 『ネコのあくび歳時記 第1集』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 人事興信所 1943, ス41頁.
- ^ 『上野市史』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『日本叙勲者名鑑 昭和39年4月~昭和53年4月 下』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年 。
- 歴代知事編纂会 編集『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』 第2、歴代知事編纂会、1983年。
- 日外アソシエーツ 編集『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。ISBN 4816929304。