杉田勇次郎
表示
杉田 勇次郎(すぎた ゆうじろう、1900年11月6日 - 1984年8月31日)は、京都市出身の日本画家[1][2]。号は遊子[1]。おもに水彩画や油彩画を手がけ、洋画の技法を取り入れた作品が多い[1][2]。
経歴
[編集]京都市下京区に生まれた杉田は、長じて京都市立絵画専門学校(京都市立美術大学の前身)に学び、在学中の1920年に「波近く」で国画創作協会展に初入選した[1][2]。1922年に卒業した後も、入江波光に師事しながら。その後も国画創作協会展などに出品し、1926年には国画創作協会会員に推されたが、同会日本画部は1928年に解散してしまう[1]。そこで、新樹社に参加するが、1931年には脱退する[1]。
1934年に満州へ渡って美術教師となり、旅順高等公学校や大連の芙蓉高等学校で教鞭を執った[1]。第二次世界大戦後は、1947年に帰国、後には京都市立美術大学で教鞭を執りつつ、画壇を離れて制作を続けた[1][2]。