李英秀
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李英秀 리영수 | |
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生年月日 | 1949年 |
出生地 | 朝鮮民主主義人民共和国、両江道 |
出身校 |
万景台革命学院 金日成総合大学 |
所属政党 | 朝鮮労働党 |
最高人民会議代議員 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
1982年2月 - 1990年4月 2014年4月9日 - 2019年3月10日 |
最高指導者 |
金日成(1948年 - 1994年) 金正恩(2011年 - ) |
朝鮮労働党中央委員会勤労団体部長 | |
在任期間 | 2010年6月 - 2014年 |
総書記 第一書記 |
金正日(1997年 - 2011年) 金正恩(2011年 - 2016年) |
祖国統一民主主義戦線中央委員会委員 | |
在任期間 | 1984年3月 - 不明 |
在任期間 |
1982年8月29日 - 不明 2010年9月28日 - 2016年5月9日 |
総書記 総書記 第一書記 |
金日成(1966年 - 1994年) 金正日(1997年 - 2011年) 金正恩(2011年 - 2016年) |
社会主義労働青年同盟委員長 | |
在任期間 | 1978年 - 不明 |
李英秀 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 리영수 |
発音: | リ・ヨンス |
李 英秀(リ・ヨンス、朝鮮語: 리영수、1949年 - )は、朝鮮民主主義人民共和国の政治家。朝鮮労働党中央委員会勤労団体部長、社会主義労働青年同盟委員長などを歴任した。
経歴
[編集]1949年に両江道で生まれた。万景台革命学院、金日成総合大学を卒業 [1]。1976年に社会主義労働青年同盟副委員長に任命され[1]、1978年に委員長に昇格した[1]。1982年2月に最高人民会議第7期代議員に選出され[1]、8月29日に開催された朝鮮労働党中央委員会第6期第9回総会で党中央委員会委員に補選された。1985年5月に金日成勲章を受賞。10月には朝鮮労働党青年部長に任命された。1995年には党副部長に降格された[1]。
2008年3月に党代表団を率いてインド共産党大会に参加した[1][2]。2010年6月に党勤労団体部長に任命され、9月28日に開催された朝鮮労働党第3回党代表者会で朝鮮労働党中央委員会委員に選出された[3]。2011年12月17日に金正日総書記が死去した際には、国家葬儀委員会委員に選ばれた[4]。2012年11月4日に党中央委員会政治局拡大会議の決定により、国家体育指導委員会が設立されると同委員会副委員長に任命された[5]。
2013年12月に側近として仕えていた張成沢が粛清されたが、李は健在だった[6]。2014年3月9日に実施された最高人民会議第13期代議員選挙で代議員に再選されたが[7]、同年中に勤労団体部長を解任された。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 리영수 李英洙 북한지역정보넷
- ^ <북한단신> 당대표단 니카라과 대통령 만나 ノーカットニュース 2016年5月10日
- ^ 김정은 당군사위 부위원장 선출 統一ニュース 2010年9月29日
- ^ 北, 장의위원회 김정은 등 232명 구성 デイリーNK 2011年12月19日
- ^ 北 ‘국가체육지도위원회’ 신설, 위원장에 장성택 統一ニュース 2012年11月5日
- ^ 処刑された張成沢氏の妻健在か 北朝鮮幹部葬儀委員に 聯合ニュース 2013年12月15日
- ^ 북, 최고인민회의 13기 대의원 발표 統一ニュース 2014年3月11日
参考サイト
[編集] 朝鮮民主主義人民共和国
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