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李錫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
皇孫 李錫
황손 이석
李氏英語版全州李氏
続柄 李堈の十男(庶子)

称号 皇孫(황손
出生 (1941-08-30) 1941年8月30日(83歳)
日本の旗 日本朝鮮 京城府寺洞宮朝鮮語版[1]
配偶者 トッコ・ジョンヒ(離婚)[2]
子女 李泓
이진
父親 李堈(義王、
役職 全州大学校教授歴史学[3]
「皇室文化財団」総裁
独島広報大使
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李錫
各種表記
ハングル 이석
漢字 李錫
発音: イ・ソク
日本語読み: り せき
英語表記: Yi Seok
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李 錫イ・ソク朝鮮語: 이석1941年8月30日 - )は、朝鮮国大韓帝国の君主家だった李氏英語版全州李氏)の子孫。最後の朝鮮国王にして初代韓国皇帝である高宗の五男・義王李堈の庶出の十男[4](十一男[5])。歌手であり[6]、「歌うプリンス[7]」などのあだ名で知られる。全州大学校教授歴史学[3]

韓国における帝位請求者の一人であり、立憲君主制の導入[8]、あるいは大統領制を維持しつつ象徴的存在として皇室を復活[9][注釈 1]させることを主張する。「朝鮮皇室復元運動」を行う「皇室文化財団(황실문화재단)」を2006年8月に創設し、その総裁を務める[8]

民泊施設「承光斎」を運営しており、これまでに盧武鉉元大統領や文在寅大統領夫妻、朴元淳ソウル市長、ハリー・ハリス駐韓アメリカ大使などの訪問を受けている[4]

2016年6月、鬱陵郡郡守から「独島広報大使」に任命された[4]

半生

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寺洞宮朝鮮語版(1937年)

日本統治時代の朝鮮において、1941年8月30日に誕生した。父の李堈が62歳のときに19歳の母に産ませた息子である[5]。当時の李堈は日本の公族であり、隠居した公であった。多くの子を儲けたが、公を継いだ李鍵雲峴宮家の養子になった以外の子は公族とされなかった[10]

出生地である寺洞宮朝鮮語版(サドングン)は、1945年の独立後に跡形もなくなった[1]朝鮮戦争が勃発すると、家族とともに安国洞英語版(アングクドン)にあった離宮を離れ、避難民のような生活を送った[1]

1960年代に宮殿から追い出され、深刻な生活苦に陥った[5]。韓国政府による旧皇族への援助が打ち切られた後は、さまざまな仕事を試みた[11]ベトナム戦争に従軍した経験があり[11]、李錫が負傷して帰国したのを見た母は、ショックで神経性胃がんになり、そのまま死去したという[5]。母の死後である26歳の時から、9回にわたって自殺を試みたという[5]。一時期はアメリカに移住し、不法滞在者として芝刈りや、プールやビルの清掃などの仕事をした[5]

1970年代になると、その存在を知られるようになった[5]。韓国で歌手としての活動を開始したためであるが、李錫は2014年に「生活のために歌った」「皇孫に生まれたことを悲観した」と当時の心境を回想している[5]

2004年4月、長女・李泓が『SBS歌謡ショー』で歌手デビューを果たすと、李錫は娘と共演してこれを祝った[12]

2004年8月から、全州市韓屋村朝鮮語版にある「承光斎(승광재、スングァンジェ、SeungGwangJae)」に居住する[4]。「承光斎」は、大韓帝国への国号改称が行われた高宗の元号「」を継するという意味を込めて命名された[8][4]、全州市が李錫のために利用可能にした伝統的な韓国の木造住宅であり[11]、李錫はそれを「賃貸」して後援会と共に民泊施設を運営している[13]

朝鮮王朝の根源だった全州でやるべき事は少なくありません。皇室の文化を広く伝え、また全州の歴史性に再び照明を当てるつもりです[13]
ギャラリー:承光斎(승광재)の風景

2005年7月16日に従兄弟にあたる当主・李玖が嗣子無くして薨去すると、「全州李氏大同宗約院」は22日に李源(李錫のすぐ上の兄・李鉀の長男)を李玖の養子に決定した[14][注釈 2]。これに対して李錫は「葬儀も終えていないのに、養子を入れるとは話にならない」と激怒し[14]、李源の家督相続に賛同した一族は道理に反しているとして、自分こそが当主であると称するようになった。

2006年7月5日、長女・李泓とともに映画『韓半島 -HANBANDO-』の特別試写会に参加した[15]。同年8月、「朝鮮皇室復元運動」を推進する「皇室文化財団」を創設し、その総裁に就任した[8]


2009年10月9日、ソウル特別市光化門広場にて世宗大王像の除幕式が行われた[16]。李錫が2014年9月4日にテレビ出演して語ったところによれば、世宗大王の肖像画が現存しないため、この銅像制作に際して李錫の顔と冠岳山朝鮮語版にある孝寧大君像が参考にされたという[17][18][5]

2016年6月、鬱陵郡郡守から「独島広報大使」に任命された[4]

2018年8月7日、駐韓米国大使の「承光斎」訪問を初めて受けた[4]。これに際して全州市長・金承洙朝鮮語版は「皇孫は我々の歴史であり我々の精神だ。このように象徴的な空間に訪ねてくださった大使夫婦に深く感謝申し上げる[19]」と発言している。

家族

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4回の離婚を経験しており、現在の妻は18歳年下であるという[5]。2人の娘がいる。

2018年10月6日、遠縁にあたる韓国系アメリカ人のアンドリュー・リー(Andrew Lee)を後継者に指名した[20][7]

発言

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六穴砲を天に向かって撃ち「国を奪った倭奴を放逐しろよ!」と叫んだ父の姿がはっきりと記憶に残っています[1] — 全羅北道外国語志願奉仕会『国境を崩す人たち』の中で
わが国には大統領がいても王室が象徴的に存在する体制が必要です[注釈 1]。それでこそ国民の精神が集まります。精神的支柱があれば国民の精神が乱れません[9]。(中略)王室がなくなってから100年も経っていません。まだ5大宮があるので象徴的に生きている王孫をそこに住まわせるようにすべきです[9] — 2016年8月17日、中央日報記者との一問一答にて

系図

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李錫の親類・近親・祖先の詳細

高宗
(王、皇帝、李太王)
 
純宗
(皇帝、李王)
 
 
 
 
 
 
 
李墡朝鮮語版
完王
 
 
 
 
 
 
李堈
義王・公
 
李鍵(桃山虔一)
 
子女は
李氏を称さず
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
李鍝
公(埈鎔の養子)
 
李淸
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
李淙朝鮮語版
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
李海瑗
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
李鉀
 
李源
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
李錫
 
李泓
 
 
 
 
 
 
 
李垠
英王・皇太子・李王
 
李晋
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
李玖
李王世子
 
 
 
 
 
 
李徳恵
 

脚注

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注釈

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  1. ^ a b 大統領制(あるいは共和制)と旧王室の共存例は、世界各国にある。たとえば現代のルーマニアには大統領のほかに、「王冠の守護者」を自称するルーマニア王室ルーマニア語版が存在し、公的に称号を追認されたうえ「陛下」の敬称を付して呼ばれるなど、共和国政府から一定の権威を認められている。またフランス領土ウォリス・フツナには3つの王国が存続している。
  2. ^ 長子相続の観点からは李錫の長兄であり、李堈の跡を継いだ李鍵(日本名:桃山虔一)の子孫が李堈の血統では嫡流であるが、「桃山」一族は自身を完全な日本人であると見なして、他の李一族との交流を断っている。次兄・李鍝の子孫も家督に関心を示していない。そこで「全州李氏大同宗約院」は、彼らは家督継承権をすでに放棄していると見なした。

出典

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  1. ^ a b c d “旧皇族系の李錫さん「父は六穴砲を撃ち『倭奴を放逐せよ』と」”. 中央日報. (2005年1月30日). https://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=60092 2019年3月3日閲覧。 
  2. ^ “韓国皇室の末裔イ・ホン、3・1節に父とテレビ出演”. 朝鮮日報. (2007年3月2日). http://ekr.chosunonline.com/site/data/html_dir/2007/03/02/2007030263000.html 2019年3月6日閲覧。 
  3. ^ a b “Heir of the last royal family becomes ceramic artist”. Korea.net英語版. (2008年8月16日). http://www.korea.net/NewsFocus/Society/view?articleId=73211 2019年3月2日閲覧。 
  4. ^ a b c d e f g “「朝鮮最後の皇孫」の家を訪れた駐韓米国大使(1)”. 中央日報. (2018年8月8日). https://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=243843 2019年3月2日閲覧。 
  5. ^ a b c d e f g h i j “마지막 황손 이석, 출생의 비밀은? “아버지 의친왕, 어머니는 19세“”. (2014年9月4日). http://star.mk.co.kr/v2/view.php?sc=40100044&year=2014&no=1170235 2019年3月19日閲覧。 
  6. ^ “デビュー目指す韓国皇室の子孫イ・ホン”. WoW!Korea. (2006年9月29日). http://www.wowkorea.jp/news/enter/2006/0718/10011571.html 2019年3月2日閲覧。 
  7. ^ a b “Californian techie becomes Korean crown prince in fairytale twist”. デイリー・テレグラフ. (2018年12月29日). https://www.telegraph.co.uk/news/2018/12/29/californian-techie-becomes-korean-crown-prince-fairytale-twist/ 2019年1月14日閲覧。 
  8. ^ a b c d “義親王の上海臨時政府亡命が成功していれば大韓帝国は続いていたかもしれない(1)”. 中央日報. (2016年8月22日). https://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=219682 2019年3月2日閲覧。 
  9. ^ a b c “義親王の上海臨時政府亡命が成功していれば大韓帝国は続いていたかもしれない(3)”. 中央日報. (2016年8月22日). https://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=219684&servcode=400&sectcode=420 2019年3月2日閲覧。 
  10. ^ 新城道彦『朝鮮王公族 ―帝国日本の準皇族』中公新書、2015年3月。ISBN 978-4-12-102309-4  Kindle版、位置No.全266中 129 / 48%
  11. ^ a b c Jonathan Thatcher (2007年1月20日). “Prince hopes to bring monarchy back to S.Korea”. ロイター. https://www.reuters.com/article/us-life-korea-prince/prince-hopes-to-bring-monarchy-back-to-s-korea-idUSSEO16222220061106 2019年3月7日閲覧。 
  12. ^ “高宗皇帝のひ孫 イ・ホンが歌手デビュー”. 朝鮮日報. (2004年4月26日). http://ekr.chosunonline.com/site/data/html_dir/2004/04/26/2004042663023.html 2019年3月6日閲覧。 
  13. ^ a b “朝鮮王朝の発源地に定着する「最後の皇孫」 李錫氏”. 朝鮮日報. (2003年9月25日). http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2003/09/25/2003092563040.html 
  14. ^ a b “朝鮮王朝の嫡統受け継ぐ李源氏 「会社生活続ける」”. 朝鮮日報. (2005年7月24日). http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2005/07/24/2005072463002.html 
  15. ^ “高宗皇帝の子孫イ・ソク-イ・ホン、映画『韓半島』を観覧”. 中央日報. (2006年7月18日). https://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=77555&servcode=700&sectcode=710 2019年3月3日閲覧。 
  16. ^ “【写真】光化門に世宗大王像が登場”. 中央日報. (2009年10月10日). https://japanese.joins.com/article/435/121435.html 2019年3月19日閲覧。 
  17. ^ “마지막 황손 이석, 세종대왕 상? 내얼굴+효령대군 동상!”. THE FACT. (2014年9月5日). http://news.tf.co.kr/read/entertain/1407101.htm 2019年3月19日閲覧。 
  18. ^ “마지막 황손 이석 "첫 광고서 세종대왕 역, 뭉클했다"”. OSBニュース. (2014年9月5日). http://www.obsnews.co.kr/news/articleView.html?idxno=833064 2019年3月19日閲覧。 
  19. ^ “「朝鮮最後の皇孫」の家を訪れた駐韓米国大使(2)”. 中央日報. (2018年8月8日). https://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=243844&servcode=400&sectcode=400 2019年3月3日閲覧。 
  20. ^ “Andrew Lee Named New Korean Crown Prince”. PR Newswire. (2018年10月16日). https://www.prnewswire.com/news-releases/andrew-lee-named-new-korean-crown-prince-300731986.html 2019年3月2日閲覧。 

関連項目

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先代
李玖
全州李氏当主
第30代当主(自称):2005年 -
次代