村松恒一郎 (歴史学者)
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村松 恒一郎(むらまつ こういちろう、1898年1月10日 - 1984年5月11日)は、日本の西洋史学者。一橋大学名誉教授。南山大学名誉教授。
人物・経歴
[編集]東京府八王子生まれ。1919年東京高等商業学校(現一橋大学)卒業。1921年同専攻部経済科卒業、東京商科大学(現一橋大学)助手[1]。三浦新七門下[2]。1925年東京商科大学予科教授兼助教授[1]。
1926年からオーストリアに留学し、アルフォンス・ドプシュや、ベルリンでフリードリヒ・マイネッケに師事した[1]。また、留学中和辻哲郎や大西克礼と交友を持った[3]。1928年からイタリア、アメリカ合衆国に留学[1]。
1936年東京商科大学教授[1]。1941年紀元二千六百年祝典記念章受章[4]。1946年東京商科大学附属図書館長。1949年一橋大学教授兼東京商科大学教授。1953年一橋大学附属図書館長、一橋大学小平分校主事、大学設置審議会委員。1954年一橋大学評議員[1]。
1960年に辞職し、一橋大学名誉教授の称号を受けた[1]。一橋基督教青年会出身で[5]、同年から南山大学経済学部長・教授を務めた[1]。1970年勲二等瑞宝章受章[6]。
1972年からは塩野谷九十九の後任として南山大学図書館長を務め、1974年に退任[7]。同年南山大学名誉教授[8]。1984年叙従三位[9]。専門はルネサンス史[10]。指導学生に浜林正夫一橋大学名誉教授[11]、及川完元東京商科大学助教授など[12]。
親族
[編集]中国史学者の村松祐次元一橋大学教授は弟。妻の房子は西田嘉兵衛商店社長を務めた西田嘉兵衛の姉[13]。
著書
[編集]- 『文化と経済』東洋経済新報社 1977年
訳書
[編集]- ヤーコプ・ブルクハルト著『伊太利文芸復興期の文化 上巻』岩波書店 1931年
- ヤーコプ・ブルクハルト著『伊太利文芸復興期の文化 下巻』(藤田健治共訳)岩波書店 1939年
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 村松恒一郎名誉教授略歴一橋論叢 044巻6号 (1960.12)
- ^ 増田四郎「一橋歴史学の流れ 一橋大学名誉教授 増田 四郎」如水会
- ^ 小田部胤久「大西克礼とシェリング「浪漫主義」と「東洋的芸術精神」の邂逅」シェリング年報2022 年 30 巻 p. 34
- ^ 官報 1941年10月23日
- ^ 一橋基督教青年会 〜130 年史〜
- ^ 官報昭和45年本紙第13163号 8頁
- ^ 南山大学図書館報南山大学
- ^ 名誉博士・名誉教授2020南山大学概要
- ^ 官報昭和59年本紙第17198号 9頁
- ^ 研究者群像第17回 浜林正夫先生にきく経済科学通信No.71
- ^ 語り継がれるHUBC:04.リベラル一橋 燃える東大戦Hitotsubashi University Boat Club HUBC
- ^ 安丸良夫; 佐々木潤之介 著「日本史」、一橋大学学園史刊行委員会 編『一橋大学学問史:一橋大学創立100年記念』一橋大学、1986年、1019-1033頁。doi:10.15057/da.5896。
- ^ 人事興信録 第14版 下