東久邇征彦
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ひがしくに まさひこ 東久邇 征彦 | |
---|---|
生誕 |
1973年4月3日(51歳) イギリス、ロンドン |
国籍 | 日本 |
親 |
東久邇信彦(信彦王) 東久邇吉子(旧姓: 島田) |
親戚 |
東久邇宮盛厚王(祖父) 盛厚王妃成子内親王(祖母) 東久邇宮稔彦王(曽祖父) 稔彦王妃聡子内親王(曽祖母) 昭和天皇(曽祖父) 香淳皇后(曾祖母) 大正天皇(高祖父) 貞明皇后(高祖母) |
家族 | 長男、次男[1] |
補足 | |
崇光天皇の男系20世子孫 |
東久邇 征彦(ひがしくに まさひこ、1973年(昭和48年)4月3日 - )は、東久邇宮の第3代当主(2019年3月20日 - )。旧皇族・東久邇信彦(皇籍離脱前は信彦王)の長男[1]。崇光天皇の男系20世子孫(伏見宮邦家親王男系5世孫)、女系で霊元天皇の血を引く。明治天皇の玄孫、昭和天皇・香淳皇后の初曾孫であり、 今上天皇 (徳仁) の従甥にあたる。
経歴
[編集]1973年(昭和48年)4月3日、イギリスの首都ロンドンの病院において、昭和天皇の初曾孫として誕生した[2]。誕生の直後、記者団へのお目見えが行われた[2]。学歴は慶應義塾卒業である。2021年(令和3年)12月現在、大手生命保険会社に勤務している。2019年3月20日、父の死により、東久邇宮の第3代当主となる。
系譜
[編集]既婚者で男子が2人いる。皇位継承有資格者の不足が指摘される中、東久邇家は旧宮家の中でも昭和天皇の血を引いているなど現皇室との血縁関係が最も濃厚であるため、皇籍復帰の有力候補として脚光を浴びている[1]。
征彦 | 父: 信彦王 |
祖父: 盛厚王 |
曾祖父: 稔彦王(東久邇宮) |
曾祖母: 聡子内親王 | |||
祖母: 成子内親王 |
曾祖父: 昭和天皇 | ||
曾祖母: 香淳皇后 | |||
母: 東久邇吉子(旧姓:島田) |
祖父: 島田二郎 |
曾祖父: 不詳 | |
曾祖母: 不詳 | |||
祖母: 不詳 |
曾祖父: 不詳 | ||
曾祖母: 不詳 |
脚注
[編集]- ^ a b c 「安倍首相の旧皇族復帰プランで浮上、ベールに包まれた「東久邇宮家」に6人の男子 (2/3)」『週刊新潮』2019年10月3日号。
- ^ a b “皇室関連 (コード 2014072500282) の報道写真”. 共同通信イメージリンク. 2020年1月27日閲覧。
明治天皇 (1852-1912) 在位 1867-1912 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大正天皇 (1879-1926) 在位 1912-1926 | 竹田宮恒久王 (1882-1919) | 昌子内親王 (1888-1940) | 北白川宮成久王 (1887-1923) | 房子内親王 (1890-1974) | 朝香宮鳩彦王 (1887-1981) | 允子内親王 (1891-1933) | 東久邇宮稔彦王 (1887-1990) | 聡子内親王 (1896-1978) | 昭和天皇 (1901-1989) 在位 1926-1989 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昭和天皇 (1901-1989) 在位 1926-1989 | 竹田恒徳 (1909-1992) | 永久王 (1910-1940) | 朝香孚彦 (1912-1994) | 盛厚王 (1916-1969) | 成子内親王 (1925-1961) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
上皇 (明仁) (1933-) 在位 1989-2019 | 竹田恒正 (1940-) | 北白川道久 (1937-2018) | 朝香誠彦 (1943-) | 東久邇信彦 (1945-2019) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今上天皇 (徳仁) (1960-) 在位 2019- | 竹田家 | (男系断絶) | 朝香家 | 東久邇家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||