東奭五郎
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東 奭五郎(ひがし せきごろう、1865年〈慶応元年7月〉- 1947年)は、日本の会計学者。"Skyscraper" に摩天楼という訳語を与えた人物という説がある[1]。
経歴
[編集]長崎県士族東太郞兵衞の四男として慶応元年7月に生まれた。1888年(明治20年)、東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業し、函館商業学校の教諭となった。その後長崎商業学校や熊本商業学校の教諭、母校東京高等商業学校附属商業教員養成所主任や神戸高等商業学校(現神戸大学)の教授を務めた。大正5年教授を辞任し、会計事務所を開き、商業実踐や簿記学研究のためにイギリスやアメリカに留学した[2]。アカウンティングの訳語として会計学をあてるべきと主張し、鹿野清次郎と論争したことでも知られる[3]。
親族
[編集]- 妻:コウ 1876年5月 - 東京府の天昌一の姉
- 長男:恒人 1895年6月 - 科学者
- 長男妻:美和子 1905年12月 -
東京府の実相寺貞彦(横浜正金銀行職員。映画監督・実相寺昭雄の祖父)の二女 - 長女:フチ 1912年7月 -
脚注
[編集]- ^ “「摩天楼」はいったい誰が訳したのか、言語学の夢想家”. ネットロアをめぐる冒険 (2018年1月22日). 2022年8月13日閲覧。
- ^ 人事興信録第8版
- ^ 専修大学の歴史編集委員会編[2009]『専修大学の歴史』平凡社、138頁
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