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東市来町伊作田

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 鹿児島県 > 日置市 > 東市来町伊作田
東市来町伊作田
国道270号(江口浜付近)
国道270号(江口浜付近)
北緯31度39分2.9秒 東経130度19分23.3秒 / 北緯31.650806度 東経130.323139度 / 31.650806; 130.323139
日本の旗 日本
都道府県 鹿児島県の旗 鹿児島県
市町村 日置市
地域 東市来地域
人口
(2020年10月1日現在)
 • 合計 1,300人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
899-2203
市外局番 099
ナンバープレート 鹿児島
地図

東市来町伊作田(ひがしいちきちょういざくだ)は、鹿児島県日置市大字[1]。旧薩摩国日置郡市来郷伊作田村日置郡東市来村大字伊作田日置郡東市来町大字伊作田郵便番号は899-2203[2]。人口は1,300人、世帯数は580世帯(2020年10月1日現在)[3]

地理

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日置市の西部、江口川の下流域に位置している。字域の北方には東市来町湯田、南方には東市来町神之川東市来町宮田、東方には東市来町長里東市来町美山がそれぞれ隣接しており、西方には東シナ海に面している。

字域の中央部には日置市立伊作田小学校、伊作田保育所があり、江口川の河口付近に江口漁港がある。集落は伊作田小学校などが所在している江口川の河口部や山麓に散在している[4]

また、海岸線に沿って国道270号が南北に通っている。また、鹿児島県道303号江口長里線は江口川に沿って東西に通っており、長里の国道3号へ接続している。

河川

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  • 江口川

歴史

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伊作田の成立

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伊作田という地名は南北朝時代より見え、薩摩国日置郡のうちであった。観応2年の足利直冬下文に伊作田道材に勲功章として宛がわれたとされる記述が地名の初見であると考えられている[5]

近代の伊作田村

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江戸時代には薩摩国日置郡市来郷(外城)のうちであった[5]村高は「天保郷帳」及び「郡村高辻帳」には1,384石余、延享頃には1,611石余、「旧高旧領取調帳」には1,717石余であったと記されている[5][6]

物産として陶土が産出されており、苗代川村(現在の日置市東市来町美山)で生産される薩摩焼の原材料として用いられたとされる[5]1878年(明治11年)に伊作田に伊作田村変則学校が設置された[7]

町村制施行以後

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1889年明治22年)4月1日町村制が施行されたのに伴い、市来郷のうち東半分の区域にあたる長里村養母村湯田村・伊作田村・神之川村の区域より日置郡東市来村が成立した[8]。それまでの伊作田村は東市来村の大字伊作田」となった[5]1918年(大正7年)1月26日には江口郵便局が設置された[9]1937年昭和12年)4月1日には東市来村が町制施行し東市来町となった[10][5]

2005年(平成17年)5月1日東市来町日置郡伊集院町吹上町日吉町と合併し日置市が成立した[11]。この合併に先立って設置された法定合併協議会である「日置中央合併協議会」において大字名については「字の区域は、現行どおりとし、現行の字の名称の前に当該字の属する合併前の町の名称を付し、字の名称を変更する。」と協定された[12]

合併日の2005年(平成17年)5月1日に鹿児島県の告示である「 字の名称の変更」が鹿児島県公報に掲載された[1]。この告示の規定に基づき即日大字の名称変更が行われ、大字名が「伊作田」から日置市の大字「東市来町伊作田」に改称された[13]

人口

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以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。

統計年 人口
1995年(平成7年) [14] 1,815
2000年(平成12年) [15] 1,823
2005年(平成17年) [16] 1,662
2010年(平成22年) [17] 1,578
2015年(平成27年) [18] 1,422
2020年(令和2年) [3] 1,300

文化財

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市指定

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  • 伊作田兵部大夫道材の墓地
    地内の北薗にある墓地で七基の宝塔、五輪塔があり、その一つが伊作田道材と家臣の墓であり[6]、日置市の史跡に指定されている[19]
  • 伊作田踊り
    伊作田道材の慰霊と豊作祈願等を目的に江戸時代より行われている踊り行事で、現在は3年に1度行われている。日置市の無形民俗文化財に指定されている[20]

施設

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江口郵便局

公共

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  • 東市来総合運動公園

教育

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郵便局

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寺社

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  • 蓬莱寺
  • 鶴城寺

教育

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日置市立伊作田小学校

東市来町伊作田には「日置市立伊作田小学校」が設置されている。

小学校

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「日置市立伊作田小学校」は、東市来町伊作田2056番地1にある小学校である[22]。1878年(明治11年)に伊作田村変則学校として設置され、同年9月に小学校となった[7]。その後尋常小学校・尋常高等小学校・国民学校を経て、1947年(昭和22年)に伊作田小学校となった[23]

1950年(昭和25年)に大字神之川(現在の東市来町神之川)に川原分校を設置し、1956年(昭和31年)には下伊集院村立神之川小学校の児童のうち東市来町に編入された大字南神之川(現在の東市来町南神之川)に居住する児童を川原分校に転入した[23]。1975年(昭和50年)には川原分校が伊作田小学校に統合された[23]

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[24]

大字 区域 小学校 中学校
東市来町伊作田 全域 日置市立伊作田小学校 日置市立東市来中学校

交通

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道路

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一般国道
一般県道

著名な出身者

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脚注

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  1. ^ a b 字の名称の変更(平成17年鹿児島県告示第691号、 原文
  2. ^ 鹿児島県日置市東市来町伊作田の郵便番号”. 日本郵便. 2021年6月12日閲覧。
  3. ^ a b 国勢調査 令和2年国勢調査小地域集計 (主な内容:基本単位区別,町丁・字別人口など)46:鹿児島県”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月10日閲覧。
  4. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 1063.
  5. ^ a b c d e f 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 90.
  6. ^ a b 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 340.
  7. ^ a b 東市来町誌編さん委員会 2005, p. 765.
  8. ^ 東市来町誌編さん委員会 2005, p. 349.
  9. ^ 東市来町誌編さん委員会 2005, p. 664.
  10. ^ 東市来町誌編さん委員会 2005, p. 436.
  11. ^ 市町の廃置分合(平成17年総務省告示第377号、 原文
  12. ^ 日置中央合併協議会の調整内容(字の区域及び名称の扱い)”. 日置中央合併協議会(国立国会図書館アーカイブ). 2020年9月12日閲覧。
  13. ^ 日置市の住所表示”. 日置市. 2012年4月9日閲覧。
  14. ^ 国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年6月12日閲覧。
  15. ^ 国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年6月12日閲覧。
  16. ^ 国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年6月12日閲覧。
  17. ^ 国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年6月12日閲覧。
  18. ^ 国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年6月12日閲覧。
  19. ^ 伊作田兵部大夫道材の墓地”. 日置市. 2021年10月26日閲覧。
  20. ^ 伊作田踊り”. 日置市. 2021年10月26日閲覧。
  21. ^ 江口郵便局(鹿児島県)”. 日本郵便. 2021年6月12日閲覧。
  22. ^ 日置市立伊作田小学校”. 日置市立伊作田小学校. 2022年1月9日閲覧。
  23. ^ a b c 東市来町誌編さん委員会 2005, p. 767.
  24. ^ 日置市立小学校及び中学校の通学区域に関する規則”. 日置市例規集. 2012年6月13日閲覧。
  25. ^ 『鹿児島県姓氏家系大辞典』421頁。

参考文献

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  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店、1983年。ISBN 978-4040014609 
  • 芳即正、五味克夫『日本歴史地名大系47巻 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 978-4582910544 
  • 東市来町誌編さん委員会『東市来町誌』東市来町、2005年。 

座標: 北緯31度39分2.9秒 東経130度19分23.3秒 / 北緯31.650806度 東経130.323139度 / 31.650806; 130.323139