東彼杵町立音琴小学校
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東彼杵町立音琴小学校 | |
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北緯33度3分30.3秒 東経129度53分40.8秒 / 北緯33.058417度 東経129.894667度座標: 北緯33度3分30.3秒 東経129度53分40.8秒 / 北緯33.058417度 東経129.894667度 | |
過去の名称 |
彼杵小学校音琴分校 蔵本小学校音琴分校 公立中等彼杵小学校大楠分校 尋常彼杵小学校音琴分校 音琴尋常小学校 彼杵尋常高等小学校音琴分教場 彼杵町国民学校音琴分教場 彼杵町立彼杵小学校音琴分校 彼杵町立音琴小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 東彼杵町 |
設立年月日 | 1877年(明治10年) |
閉校年月日 | 2016年(平成28年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒859-3811 |
長崎県東彼杵郡東彼杵町大音琴郷1621番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
東彼杵町立音琴小学校(ひがしそのぎちょうりつ ねごとしょうがっこう、Higashisonogi Town Negoto Elementary School)は、長崎県東彼杵郡東彼杵町大音琴(おおねごと)郷にあった公立小学校。
2016年(平成28年)3月末に閉校し、東彼杵町立彼杵小学校へ統合された。
概要
[編集]- 学校教育目標
- 「夢や希望の実現に向けて、見通しを持ち自立できる児童の育成」
- 校章
- 中央に校名の「音小」の文字(縦書き)を置いている。
- 校歌
- 1960年(昭和25年)7月に制定。作詞は堀池正夫、作曲は深町一郎による。歌詞は3番まであり、3番に校名の「音琴」が登場する。
- 校区
- 住所表記で「長崎県東彼杵郡東彼杵町」の後に「小音琴郷、浦郷、大音琴郷、口木田郷」が続く地区。中学校区は東彼杵町立彼杵中学校。
沿革
[編集]- 1877年(明治10年)- 大音琴郷浜田に「彼杵小学校 音琴分校」が設置される。
- 1878年(明治11年)7月22日 - 郡制の施行により、彼杵郡が東西に分割され、東彼杵郡に属することとなる。
- 1880年(明治13年)12月 -「 蔵本小学校 音琴分校」に改称。
- 1881年(明治14年)5月 - 「公立中等彼杵小学校 音琴分校」に改称。
- 1886年(明治19年)
- 5月 -「尋常彼杵小学校 音琴分校」に改称。
- 9月 - 大村(現・大村市立大村小学校前)に「長崎県第十一高等小学校」が設置される。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、彼杵村立の小学校となる。
- 1892年(明治25年)
- 9月 - 長崎県第十一高等小学校が廃止される。
- 12月 - 「彼杵尋常高等小学校 音琴分校」に改称。
- 1897年(明治30年)7月 – 鉄道敷設のため、学校敷地のうち2坪を譲る。
- 1902年(明治35年)12月23日 - 現在の校地が寄贈される。
- 1903年(明治36年)10月 - 彼杵尋常高等小学校から分離し、「音琴尋常小学校」として独立。同月26日に新校舎で授業を開始。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長されたため、尋常科5年を新設。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
- 1913年(大正2年)4月 - 統合により「彼杵尋常高等小学校 音琴分教場」となる。
- 1923年(大正12年)7月 - 彼杵農業補習学校音琴分教場が併置される。
- 1925年(大正14年)3月22日 - 彼杵農業補習学校に商業科が加えられたため、「彼杵実業補習学校 音琴分教場」に改称。
- 1926年(大正15年)7月 - 実業補習学校が青年訓練所として認定される。
- 1935年(昭和10年)6月1日 - 青年学校令の施行により、実業補習学校分教場が「彼杵青年学校音琴分教場」に改称。
- 1940年(昭和15年)11月3日 - 彼杵村が町制施行により彼杵町となる。これに伴い彼杵町立の小学校となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「彼杵町国民学校 音琴分教場」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により「彼杵町立彼杵小学校 音琴分校」となる。
- 1950年(昭和25年)
- 3月- 2教室が完成。
- 4月1日 - 彼杵小学校から独立し、「彼杵町立音琴小学校」として独立。
- 7月 - 本館・付属施設が完成。
- 11月5日 - 独立を記念して造林を行う。
- 1952年(昭和27年)1月 - 運動場を整備。
- 1958年(昭和33年)8月 - 渡り廊下を設置。
- 1959年(昭和34年)5月1日 - 彼杵町と千綿村が合併し東彼杵町が発足。これに伴い「東彼杵町立音琴小学校」(現校名)に改称。
- 1960年(昭和35年)
- 4月 - 児童数が最大の164名(6学級)を記録。
- 7月 - 校歌を制定。
- 1962年(昭和37年)5月 - 放送室が完成。運動場を拡張。
- 1965年(昭和40年)3月 - 校門を設置。
- 1966年(昭和41年)5月 - 簡易水道を導入。
- 1967年(昭和42年)3月 - 給食を開始。
- 1970年(昭和45年)6月 - 校旗を制定。
- 1974年(昭和49年)3月 - 屋内運動場(体育館)が完成。
- 1986年(昭和61年)3月 - 新校舎が完成。運動場を整備。
- 1990年(平成2年)7月 – プールが完成。
- 1992年(平成4年)3月 - 運動場を整備。
- 2016年(平成28年)3月31日 - 東彼杵町立彼杵小学校への統合に伴い、閉校。
跡地の活用
[編集]跡地に「ながさき東そのぎ子どもの村小学校」が2019年(平成31年)4月1日に開校し、翌2020年、中学校が開校した。
アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 東彼杵町営バス「音琴宮下」バス停
- 最寄りの国道・県道
周辺
[編集]- 佐世保市消防局 東消防署 東彼杵出張所
- 音琴簡易郵便局
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「東彼杵町誌 水と緑と道」上巻(1999年(平成11年)11月1日、東彼杵町教育委員会)p.1064 -(明治から昭和初期)
- 「東彼杵町誌 水と緑と道」下巻(1999年(平成11年)11月1日、東彼杵町教育委員会)p.228 - (戦後から現在)