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東方見聞録 (映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東方見聞録
ADVENTURE ROMAN[1]
監督 井筒和幸[1]
脚本 神波史男
高橋洋
井筒和幸[1]
原作 井筒和幸
阪本順治
平野美枝
出演者
音楽 千住明[1]
主題歌 ROCKS「思い出かきまわしても…」
撮影 篠田昇
編集 東京テレビセンター
製作会社 ディレクターズ・カンパニー[1]
配給 東映(予定)[1]
公開 日本の旗 1992年5月18日
→公開中止[1]
上映時間 123分[1]
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
製作費 8億円(計画)
4億円(実際)[1]
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東方見聞録(とうほうけんぶんろく)とは、1992年5月18日に公開される予定だった日本映画。撮影中の事故で出演者が死亡したためお蔵入りとなり、後にオリジナルビデオとして発売された。

概要

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戦国時代の世、身勝手な殿様に辟易していた双子の兄弟や2人の足軽、武将、姫君、そして漂着したポルトガル人の騎士ら7人たちが一攫千金を狙うべく、殿様秘蔵の黄金の宝を捜し求める大冒険を描いた作品。

戦国時代が舞台となっているが、現代の流行語や丈の短い着物など時代考証は融通無碍で、合戦中に死んだふりをして生き延びようとする足軽や、落城しようとしているのに自害しない姫など、「コミカルで等身大の時代劇」と評価されている[1]

女優設楽りさ子の映画デビュー作。

製作

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製作費不足

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総製作費8億円の超大作として始まった撮影だが、製作会社のディレクターズ・カンパニーの社長は、それまでの負債の返済として製作費の4億円を充てたため、実際には半分の4億円が製作費に充てられることになった。その上、滝壺のシーンのため静岡県小山町の奥の沢川に、高さ10メートル、深さ2メートル、毎秒1トンの流水を自動で調節できる滝壺を再現したオープンセットが、3ヶ月の製作期間と3億円の製作費を投じて作られた。残った製作費は1億円で、撮影は当初から製作費不足に陥った。龍神はオープンセットの実大アニマトロニクスコンピュータグラフィックスを併用し、200名以上の出演者はプレハブ小屋での滞在を余儀なくされた[1]

死亡事故

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1991年9月22日、滝壺のオープンセットでの撮影中に事故が発生した。死んだ足軽が滝壺に浮かぶシーンの撮影のため、8キロの鎧を着た足軽役のエキストラが手を縛られた状態で入水したが、ワンテイク撮影後に岸に戻ろうとして深みにはまり転倒、溺れてしまった。周囲のスタッフの救助が遅れたことから、エキストラは意識不明の重体で搬送され、翌日死亡した[1]

監督の井筒と助監督は安全管理責任を怠ったとして書類送検され、オープンセットは解体された。撮影を続ける意欲を失った井筒だったが、周囲の説得で撮影を再開し、滝壺の未撮影シーンは東宝スタジオに作られた屋内セットで撮影された[1]

公開中止

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こうして作品は完成したが、撮影事故の影響は大きく1992年5月18日に予定されていた劇場公開は中止された。制作資金の回収が絶たれたディレクターズ・カンパニーは、スタッフや出演者のギャランティーを支払うことなく、多額の負債を抱え倒産した。エキストラの遺族が業務上過失致死罪で告訴した民事訴訟で井筒は敗訴し、3,000万円以上の保証金が井筒一人の肩にのしかかった。1,500万円にもなる保証金の頭金は、井筒が貯金を全て崩し、友人に借金をして用意した。井筒は保証金返済のため、テレビCMやカラオケビデオなどの映像製作を多数行ったほか、テレビやラジオ、雑誌でのコメンテーターとして積極的に出演するようになった[1]

ソフト化

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完成した作品は、ディレクターズ・カンパニーの債権者によってフィルムを差し押さえられたが、1993年8月1日にイメージファクトリー・アイエムからビデオソフトが発売され、2001年にDVDソフトも発売された[1]

キャスト

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ほか

スタッフ

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ノベライズ

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『東方見聞録 竜の伝説』ISBN 978-4101217116
広井王子:著、細石照美:イラスト、新潮文庫ファンタジーノベル・シリーズ、1991年12月1日発行

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 沢辺有司『ワケありな映画』 彩図社 2014年 P.88-92 ISBN 978-4-8013-0024-8

関連項目

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外部リンク

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