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東海愛知新聞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東海愛知新聞
東海愛知新聞社
種類 日刊紙
サイズ ブランケット判

本社 愛知県岡崎市
代表者 大津一夫(代表取締役社長)
創刊 1945年昭和20年)12月25日
前身 東海新聞、愛知新聞
言語 日本語
価格 1部 130円
月極 2,700円
発行数 10,000部
株式会社 東海愛知新聞社
本社所在地 日本の旗 日本
〒444-0852
愛知県岡崎市南明大寺町12番地8
設立 1945年(昭和20年)12月
業種 情報・通信業
資本金 3,500万円
従業員数 14名(パートを含む)
外部リンク http://home1.catvmics.ne.jp/~tokai-a/
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東海愛知新聞(とうかいあいちしんぶん)は、愛知県岡崎市に本社を置く新聞地方紙)。西三河地方を取材対象区域とし、岡崎市内で発行されている。

概要

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朝刊単体の発行。ページ数は4ページ。発行部数は約10,000部。休刊日は月曜、祝日の翌日[1]

額田郡男川村大平(現在の岡崎市大平町)出身の画家で青紅社(現在の株式会社セイコー社[注 1])創立者の服部臣宏が題字をデザインした[2][3]

FMおかざきのサイト内に記事の一部が掲載されている[4]

沿革

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東海新聞(1945年 - 1977年)

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  • 1945年(昭和20年)12月25日 - 岡崎市元能見町188番地の民家で『東海新聞』が創刊。初代社長は黒柳章、主幹編集長は榊原金之助[5][6]
  • 1948年(昭和23年) - 東海新聞社の社屋が伝馬通1丁目に移転。
  • 1972年(昭和47年)12月5日 - 榊原金之助が東海新聞社の社長を退任。翌日、清水勉が社長に就任した。
  • 1973年(昭和48年)5月 - 東海新聞社の社屋が明大寺町折戸(現在の南明大寺町[注 2])に移転。

三河タイムス / 愛知新聞(1947年 - 1977年)

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  • 1947年(昭和22年)8月 - 内田喜久らが週刊新聞『三河タイムス』を創刊[7]
  • 1952年(昭和27年)5月10日 - 内田は『三河タイムス』を日刊紙にするため、旧康生町(現・康生通東1丁目)に株式会社愛知新聞社を設立[7][6]
  • 1952年(昭和27年)11月11日 - 『愛知新聞』第1号を発行[7]

東海愛知新聞(1977年 - )

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  • 1977年(昭和52年)1月19日 - 東海愛知新聞社の設立株主総会および取締役会が開催され、東海新聞と愛知新聞の合併が決定する。本社は東海新聞社の所在地とされ、代表取締役社長には内田喜久が就任した[8]
  • 1977年(昭和52年)1月29日 - 『東海新聞』と『愛知新聞』が終刊。
  • 1977年(昭和52年)2月1日 - 『東海愛知新聞』創刊。
  • 1992年(平成4年)11月15日 - 最後の活版印刷の号を発行[9]
  • 2010年(平成22年)3月 - マスコットキャラクターの「てんかくん」が誕生。本紙の4コマ漫画などで活躍。
  • 2012年(平成24年)4月14日 - 創刊20,000号達成。
  • 2013年(平成25年)10月 - 「てんかくん」の着ぐるみ版が完成[10]

本社

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ギャラリー

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脚注

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注釈

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  1. ^ セイコー社は建築業を営む会社であり、時計で知られるセイコーホールディングスとは関係ない。
  2. ^ 1980年3月18日、岡崎都市計画南部土地区画整理事業により上六名町の一部と明大寺町の一部が南明大寺町となった。

出典

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  1. ^ 購読のご案内 - 株式会社東海愛知新聞社
  2. ^ 『愛知新聞』1977年1月26日、1面、「二月一日創刊 東海愛知新聞」。
  3. ^ “服部臣宏さん遺作展 作品200点とデッサン帳も”. 東海愛知新聞. (2009年6月5日). http://www.fmokazaki.jp/tokai/090605.html 2015年11月25日閲覧。 
  4. ^ 東海愛知新聞バックナンバー - FMおかざき
  5. ^ 東海タイムズ』1960年7月18日。
  6. ^ a b 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、253頁、254頁。
  7. ^ a b c 『愛知新聞』1957年10月13日、2面。
  8. ^ 『愛知新聞』1977年1月20日、1面、「東海愛知新聞社を設立 社長に内田、副社長に清水氏」。
  9. ^ 『東海愛知新聞』2015年6月2日【特集号】、1面、「連絡管が『伝える』もの」。
  10. ^ 「てんかくん」がやってきた!”. 内田康宏のブログ (2013年11月3日). 2017年11月12日閲覧。

外部リンク

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