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石巻日日新聞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石巻日日新聞
石巻日日新聞社 社屋
種類 夕刊紙
サイズ ブランケット版

事業者 石巻日日新聞社
本社 石巻市
代表者 代表取締役社長 近江弘一
創刊 1912年10月
前身 東北日報
言語 日本語
価格 月極 1,800円
発行数 1万8000部
ウェブサイト http://www.hibishinbun.com/
株式会社 石巻日日新聞社
本社所在地 日本の旗 日本
〒986-0874
宮城県石巻市双葉町8-17
北緯38度25分29.3秒 東経141度17分31.4秒 / 北緯38.424806度 東経141.292056度 / 38.424806; 141.292056座標: 北緯38度25分29.3秒 東経141度17分31.4秒 / 北緯38.424806度 東経141.292056度 / 38.424806; 141.292056
事業内容 夕刊紙発行
設立 1913年3月
業種 情報・通信業
資本金 2100万円
従業員数 24名
主要株主 齋藤實
株式会社ヤマニシ
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石巻日日新聞』(いしのまきひびしんぶん)は、石巻日日新聞社が宮城県東部の石巻市東松島市牡鹿郡女川町をエリアとして発行している地域紙1913年大正2年)創刊。

沿革

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以下の記述は、おもに公式サイト[1]と、山田晴通宮城県石巻市における地域紙興亡略史」(1984)による

1912年10月、山川清が、石巻地方最初の日刊紙『東北日報』[注 1]を創刊するが、間もなく経営に行き詰まり、新たに体制を立て直して、翌1913年に『石巻日日新聞』と改題する。その後も5年ほどは経営が安定せず、経営者も頻繁に交代したが、編集陣と紙齢は継承された。

1921年には同盟通信に加盟して、全国・国際ニュースの配信を受け、紙面に反映させるようになる。その後、いわゆる「一県一紙」統制により、1940年10月31日付、第8684号で廃刊した。

戦後、石巻では『石巻日日新聞』で植字工であった和田鉄夫が『石巻新聞』をいちはやく創刊したが、これに対して『石巻日日新聞』で編集長を長く務めた佐藤露紅を中心に、『石巻日日新聞』の復刊が企画され、1948年10月に戦前の紙齢を継承して第8685号を発行する形で『石巻日日新聞』が「復刊」された。翌1949年に日刊化。1952年に佐藤が社を去り、斉藤末治が事実上の経営責任者となる。

当初、部数の上で『石巻新聞』より少なかったが、1967年前後には発行部数4,000部ほどで同程度となる。1971年にはオフセット印刷機を導入し、1976年にはコールド・タイプ・セッティング化を達成、1982年には高速輪転機を導入する。1985年には、無料の月刊タウン誌「いしのまき・らいふ」の発行を始めた。

震災発生・壁新聞

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2015年3月1日、石巻ニューゼにて壁新聞を見学するウィリアム王子(左)と説明する石巻ニューゼ館長武内宏之(右)

2011年3月11日に発生した東日本大震災では、停電と津波により社屋が浸水し、輪転機が水没したが、濡水しなかった新聞ロール紙に、懐中電灯で照らしながらマジックペンで書き込んだ「号外」壁新聞を、3月12-17日の6日間、市内の避難所6箇所に張り出し、ライフラインの復旧状況や避難所での生活関連情報を伝えた。3月18日付けの新聞からは市販の複合機プリンターを使って印刷を再開。そして3月20日付けから水没を逃れた古い輪転機を使い1枚(2頁)刷りの紙面での発行を再開し、避難所の市民に配るようにした[1]。こうして震災直後から1日も休刊せず発行を続けている。

これらの壁新聞発行を、2011年3月22日に『ワシントン・ポスト』が報じ[2] 、ニュース・ジャーナリズム博物館ニュージアムが7枚を永久保存する[3]。また国際新聞編集者協会はこの新聞発行について石巻日日新聞に特別褒賞を授与した[4]。さらに、「東日本大震災で困難に直面しながら、地元新聞社としての役割と責務を果たした」として、2011年に第59回菊池寛賞を受賞。

そして、震災から1年が経った2012年3月には、フランスの月刊日本情報誌『ズーム・ジャポン』[2]およびパリの日本文化施設エスパス・ジャポン[3]の企画により、フランス国立ギメ東洋美術館が「使命」と題した壁新聞展を開催[5]。同時に、『ズーム・ジャポン』誌は石巻日日新聞社へのオマージュとして、同年3月号に壁新聞を特集した別冊小冊子[4]を日仏の2カ国語で発行、フランス国内で10万部を無料配布。この小冊子には、近江社長を始めとした石巻日日新聞記者ら、そして池澤夏樹岩崎貞明鎌田慧港千尋、そして内田樹の5人が執筆協力した。

テレビ番組

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書籍

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  • 『6枚の壁新聞 石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録』 (石巻日日新聞社編・角川SSC新書)

脚注

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注釈

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  1. ^ 河北新報の前身となった新聞と同じ紙名だが、別個の新聞。山川は創刊に際して、河北新報から不要活字や印刷機を譲られた。

出典

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  1. ^ “石巻日日新聞、手書きで奮闘 避難所に「正確な情報」”. 日本経済新聞. (2011年3月29日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2501S_Y1A320C1CC1000/ 2011年4月3日閲覧。  “震災翌日、油性ペンで号外 米で展示へ 石巻日日新聞”. 朝日新聞. (2011年4月17日). http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104160095.html 2011年4月17日閲覧。 
  2. ^ The Washington Post,"In Ishinomaki, news comes old-fashioned way: Via paper", March 22, 2011
  3. ^ “社屋被災で手書き、壁新聞を米で永久保存”. 読売新聞. (2011年4月17日). オリジナルの2013年8月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130826174320/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110417-OYT1T00483.htm 2011年4月17日閲覧。 
  4. ^ “石巻日日新聞に特別褒賞…国際新聞編集者協会”. 読売新聞. (2011年9月26日). オリジナルの2013年5月1日時点におけるアーカイブ。. https://archive.md/vg5vW 2011年9月26日閲覧。  “石巻日日新聞:手書きの壁新聞に国際協会が特別賞”. 毎日新聞. (2011年9月26日). オリジナルの2011年9月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110926125431/http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110926k0000m040102000c.html 2011年9月26日閲覧。 
  5. ^ “石巻の壁新聞、パリで公開 特別展「使命」で”. 産経ニュース. (2012年3月10日). オリジナルの2012年4月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120401081125/http://sankei.jp.msn.com/world/news/120310/erp12031021340008-n1.htm 2012年3月10日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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