松下建太
2019年4月2日 | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県広島市東区[1] |
生年月日 | 1987年8月17日(37歳) |
身長 体重 |
179 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2009年 ドラフト5位 |
初出場 | 2013年7月7日 |
最終出場 | 2013年8月6日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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松下 建太(まつした けんた、1987年8月17日 - )は、広島県広島市東区出身[1]の元プロ野球選手(投手)。右投右打。父は元プロ野球選手の松下建夫[2]。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]小学校5年生の時に野球を始め、「鯉城シニア」では二学年下の中田翔とバッテリーを組んでいたことがある[3]。
明徳義塾高校では1年生の春[4]または夏[3]にベンチ入りした。チームは1年生時の夏、2年生時の春と夏の計3回甲子園に出場した[5]。3年生時の夏の甲子園・全国大会にも出場を決めていたが、大会の組み合わせ決定後に不祥事(部員による暴力行為、および部員の集団喫煙)が発覚し、出場を辞退した[6]。
早稲田大学では1年生時の春にベンチ入りした[3][4]。第37回明治神宮野球大会では1試合に登板、1回を投げ自責点1だった[7]。2年生時の東京六大学野球・春季リーグでは9試合に登板、22回を投げ防御率0.82で最優秀防御率投手になった[8]。第38回明治神宮野球大会では2試合に登板し、計3回を投げ自責点1だった[9]。チームはこの年の第56回全日本大学野球選手権大会で優勝した[10]。大学通算では41試合に登板、7勝3敗、防御率1.55、90奪三振の成績だった[11]。
2009年10月29日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズに5巡目で指名され[12]、契約金3,500万円、年俸1,000万円(金額は推定)で仮契約し[13]、入団。背番号は35に決まった[14]。
プロ入り後
[編集]1年目の2010年から右肩痛に悩まされ、2011年3月に手術した[15]。2010年のオフに背番号を57に変更した[16]。
2013年、7月7日の対千葉ロッテマリーンズ戦の9回に2番手でプロ初登板し、1回を投げ被安打0、奪三振1、無失点だった[17][18]。登板2試合目となった7月12日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では1点リードの12回裏に登板し、無失点に抑えプロ初セーブを記録した[2][19]。
2014年は一軍での登板は無かった。この年の3月下旬、チーム内でインフルエンザが蔓延して感染者が多く出たため二軍の試合に出る選手が不足し、3月23日の対横浜DeNAベイスターズ戦では本来投手登録の中﨑雄太とともに外野手として先発出場した[20][21]。なお2人が外野手として出場したのはこの1試合のみ[22]。
2015年は二軍で福倉健太郎と並びチーム最多の32試合に登板、30回1/3を投げ防御率5.04だった[23]。10月27日に球団に来季の選手契約をしない旨を通告され[24]、12月2日付で自由契約選手になった[25]。なお、11月4日に来季は球団職員(二軍用具担当)として契約することが発表されている[26]。2022年現在はサブマネジャー[27]。
プレースタイル・人物
[編集]投球フォームは変則的なサイドスロー[17]。大学生時での直球の最速は148km/hだったが[4]、プロ4年目の時点では最速130キロ台だった。変化球は、二軍監督の潮崎哲也から教わったというシンカーを投げていた[17]。
大学時代の愛称は「ケビン」。映画「ホーム・アローン」でケビン・マカリスターを演じた俳優マコーレー・カルキンに顔が似ていたという理由から[13]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2013 | 西武 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | .000 | 44 | 10.1 | 11 | 0 | 2 | 0 | 2 | 7 | 2 | 0 | 4 | 4 | 3.48 | 1.26 |
通算:1年 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | .000 | 44 | 10.1 | 11 | 0 | 2 | 0 | 2 | 7 | 2 | 0 | 4 | 4 | 3.48 | 1.26 |
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
投手 | |||||
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試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2013 | 西武 | 9 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
通算 | 9 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
記録
[編集]- 初登板:2013年7月7日、対千葉ロッテマリーンズ(西武ドーム)、 9回表に2番手で救援登板
- 初奪三振:同上、大松尚逸から
- 初セーブ:2013年7月12日、対東北楽天ゴールデンイーグルス10回戦(クリネックススタジアム宮城)、12回裏に6番手で救援登板・完了、1回無失点
背番号
[編集]- 35(2010年)
- 57(2011年 - 2015年)
脚注
[編集]- ^ a b 「2015プロ野球 12球団全選手 カラー百科名鑑」 廣済堂出版発行 97頁
- ^ a b 渡辺直、西武移籍後初打席で二塁打→生還 日刊スポーツ 2013年7月13日紙面から
- ^ a b c 埼玉西武5位・松下建太「指名された瞬間、涙のワケ」 SPORTS COMMUNICATIONS 2010年1月28日掲載
- ^ a b c 2009年ドラフト指名者 ◇西武5巡目
- ^ 「宝島別冊 プロ野球選手データ名鑑2015」 宝島社発行 80頁
- ^ 明徳義塾、夏の高校野球の出場辞退 不祥事が判明 朝日新聞デジタル 2005年8月4日掲載
- ^ 明治神宮外苑創建80年記念 第37回明治神宮野球大会 2回戦 早 大 - 大阪産業大 公益財団法人 日本学生野球協会
- ^ 東京六大学野球リーグ戦 最優秀防御率 一般財団法人 東京六大学野球連盟
- ^ 第38回明治神宮野球大会 2回戦 九産大 - 早 大、決勝戦 東洋大 - 早 大 公益財団法人 日本学生野球協会
- ^ 第56回 全日本大学野球選手権大会 対戦組み合わせ 公益財団法人 全日本大学野球連盟
- ^ 中日 早大エース松下を上位指名へ スポニチ Sponichi Annex 2009年9月25日掲載
- ^ 2009年 ドラフト会議開催! 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2009年10月29日配信
- ^ a b 西武5位指名の早大・松下と仮契約 日刊スポーツ 2009年11月19日掲載
- ^ 2009年ドラフト指名6選手 入団会見! 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2009年12月9日配信
- ^ 土佐路の球音 高知新聞 2012年02月13日付朝刊
- ^ 2011年 背番号のお知らせ 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2010年11月17日配信
- ^ a b c 【西武】4年目松下、無失点デビュー 日刊スポーツ 2013年7月7日掲載
- ^ 2013年7月7日 埼玉西武 対 千葉ロッテ 成績詳細 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト
- ^ 2013年7月12日 楽天イーグルス 対 埼玉西武 成績詳細 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト
- ^ 西武ドラ1・森もインフルに…感染者12人、選手足りない! スポニチ Sponichi Annex 2014年3月26日掲載
- ^ 2014年3月23日 (日) 横浜DeNA 7 - 0 埼玉西武 日本野球機構オフィシャルサイト
- ^ 2014年度 埼玉西武ライオンズ 個人守備成績(イースタン・リーグ) 日本野球機構オフィシャルサイト
- ^ 2015年度 埼玉西武ライオンズ 個人投手成績(イースタン・リーグ) 日本野球機構オフィシャルサイト
- ^ 埼玉西武ライオンズ選手来季契約について 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2015年10月27日配信
- ^ 2015年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト
- ^ 平野将光・松下建太両投手について 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2015年11月4日配信
- ^ “スタッフページ”. 埼玉西武ライオンズ. 2023年5月9日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 松下建太 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube