松下繁二
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基本情報 | |
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出身地 | 日本 兵庫県 明石市 |
生年月日 | 1916年8月16日 |
没年月日 | 戦死 |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1941年 |
初出場 | 1941年 |
最終出場 | 1941年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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松下 繁二(まつした しげじ、1916年8月16日 - 戦死(年月不明))は、昭和時代前期に活躍したプロ野球選手。
来歴・人物
[編集]兵庫県立明石中学校では、1932年の第9回選抜中等学校野球大会、第18回全国中等学校優勝野球大会、1933年の第10回選抜中等学校野球大会、第19回全国中等学校優勝野球大会、1934年の第11回選抜中等学校野球大会の計5大会に出場。1933年の第19回全国中等学校優勝野球大会では、準決勝で中京商業学校との延長25回の死闘に三塁手として先発出場していた(ただし、松下自身は4回裏に永尾正巳と交代し退いている)。その後、法政大学に進学し、5番打者として活躍。
1941年に阪神軍に入団。63試合に出場するも、召集され戦死した。東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1941 | 阪神 | 63 | 225 | 198 | 9 | 33 | 8 | 1 | 0 | 43 | 11 | 1 | -- | 5 | -- | 21 | -- | 1 | 18 | -- | .167 | .250 | .217 | .467 |
通算:1年 | 63 | 225 | 198 | 9 | 33 | 8 | 1 | 0 | 43 | 11 | 1 | -- | 5 | -- | 21 | -- | 1 | 18 | -- | .167 | .250 | .217 | .467 |
背番号
[編集]- 37 (1941年)