松下軍治
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松下 軍治(まつした ぐんじ、慶応3年3月15日(1867年4月19日)- 大正4年(1915年)10月23日)は日本の実業家、衆議院議員(2期)。旧姓は坂戸。
経歴
[編集]信濃国水内郡津和村細尾(現長野県長野市)に生まれ。明治15年(1882年)16歳の時、松下角左衛門氏の養子となる。上京して明治27年6月に中村正直の同人社に入学し、同29年3月専修科を卒業。明治32年(1899年)「時論日報」を創刊したが、まもなく廃刊。翌年「日出国(やまと)新聞」(後の「やまと新聞」)を買収して社長となり福地源一郎を主筆に迎え、株式投資や、鉱山事業を経営し、活動写真の地方巡業を後援した。また、東京宮城屋銀行の破綻を救済した。
明治41年(1908年)第10回衆議院議員総選挙に東京市選挙区から出馬し、大正元年(1912年)の第11回総選挙でも再選。立憲同志会に属した。
没年大正4年10月23日 享年50歳 法名 『大鳴院 順徳義烈居士」。時の内閣大隅首相は、特に、香華を送られ賞勲局より勲三等瑞宝章を賜った。