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松代直樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松代 直樹
名前
愛称 マツヨ、モッチャン
カタカナ マツヨ ナオキ
ラテン文字 MATSUYO Naoki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1974-04-09) 1974年4月9日(50歳)
出身地 奈良県奈良市
身長 181cm
体重 73kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1987-1989 日本の旗 奈良FC
1990-1992 日本の旗 上牧高校
1993-1996 日本の旗 天理大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-2009 日本の旗 ガンバ大阪 131 (0)
通算 131 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

松代 直樹(まつよ なおき、1974年4月9日 - )は、奈良県奈良市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションゴールキーパー(GK)

来歴

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選手として

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1997年天理大学からガンバ大阪に加入。入団から数年は本並健治からレギュラーを奪った岡中勇人と同期入団の都築龍太の後塵を拝し、控えに甘んじる。

岡中が大分トリニータに移籍し、西野朗監督が就任した2002年に背番号を1に変更。シーズン中盤から都築に代わって正GKの座を掴む。都築が浦和レッズに移籍した2003年以降は正GKに定着したが、2005年8月6日のセレッソ大阪とのナビスコカップ準々決勝第1戦で左手舟状骨骨折の重症を負い[1][2]、同年にコンサドーレ札幌から移籍した藤ヶ谷陽介にポジションを明け渡す。以降は藤ヶ谷と激しいポジション争いを演じるも、リーグ戦の出場は10数試合程度にとどまった。それでもカップ戦や藤ヶ谷が怪我で離脱中のときなどは若手を抑えて先発で出場した。

實好礼忠の後を継いで2008年と2009年の2年間、チームキャプテン(主将)を任されていた[3]

藤ヶ谷がインフルエンザで休養を余儀なくされたため、2010年元日の第89回天皇杯決勝にスタメン出場[4]。2009年のリーグ戦で2戦とも自らのミスがきっかけで決勝点を献上した名古屋グランパスに雪辱を果たして連覇を決め、その直後に現役引退を表明した[5]

指導者として

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2010年から2016年までガンバ大阪ジュニアユースチームのGKコーチを務め、2017年よりU-23チームのGKコーチに就任。2018年よりトップチームのGKコーチに就任[6]。2021年シーズン終了をもってガンバ大阪を退団した[7]

2022年1月25日、大阪学院大学体育会サッカー部のGKコーチ就任が発表された[8]

人物・エピソード

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  • 高校時代の後輩に、ライセンス井本貴史藤原一裕が居る。
  • 大学に進学したら、GK以外のポジションをやりたいと思っていたが結局GKのまま活躍し、プロのスカウトの目に留まった。
  • 田中誠らと並んでガンダムマニアのサッカー選手として有名であった。プラモデル作りが趣味。
  • 2003年11月15日万博でのJリーグ2ndステージ第13節(vsFC東京)で神懸り的なセーブを連発し、19本のシュートを浴びるも1本も入れさせることなく、1-0で勝利。相手のFC東京・原博実監督をして「今日は松代にやられた」と言わしめた。この試合は、ガンバ、FC東京サポーターの間で伝説となっている。
  • 現役時代は代理人糀正勝と契約していた。2006年のシーズン終了後、ヴァンフォーレ甲府からオファーを受けたが、これを断ってガンバ大阪に残留した。また2009年シーズン限りで戦力外通告を受けた際には他クラブへの移籍も噂されたが、ガンバ大阪で引退する事を選んだ。
  • クラブがリーグ最終戦で予定していた退団セレモニーを「天皇杯で優勝してお別れしたい」と辞退し、天皇杯優勝を置き土産に引退した。

所属クラブ

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ユース経歴

プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1996 天理大 - - - 1 0 1 0
1997 G大阪 21 J 0 0 0 0 0 0 0 0
1998 22 0 0 0 0 0 0 0 0
1999 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2000 3 0 1 0 0 0 4 0
2001 1 0 0 0 0 0 1 0
2002 1 18 0 5 0 2 0 25 0
2003 30 0 4 0 2 0 36 0
2004 29 0 7 0 3 0 39 0
2005 14 0 4 0 1 0 19 0
2006 8 0 0 0 5 0 13 0
2007 6 0 4 0 0 0 10 0
2008 9 0 0 0 0 0 9 0
2009 13 0 0 0 1 0 14 0
通算 日本 J1 131 0 25 0 14 0 170 0
日本 - - 1 0 1 0
総通算 131 0 25 0 15 0 171 0

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2006 G大阪 1 1 0 -
2008 3 0 0 0
2009 5 0 -
通算 AFC 9 0 0 0

その他の国際公式戦

タイトル

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クラブ

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天理大学

  • 奈良県サッカー選手権大会:1回(1996年)

ガンバ大阪

指導歴

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脚注

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  1. ^ GK松代直樹選手の怪我について(05.08.09)』(プレスリリース)ガンバ大阪、2005年8月9日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000224662018年9月10日閲覧 
  2. ^ G大阪GK松代、骨折全治6週間で長期離脱 - ウェイバックマシン(2006年7月22日アーカイブ分) 大阪日刊スポーツ新聞社 なにわWEB (2005年8月10日)
  3. ^ ヒストリー”. ガンバ大阪. 2018年9月10日閲覧。
  4. ^ 近藤安弘 (2010年1月1日). “[天皇杯]満身創痍のG大阪・GK松代が好セーブ。今季限りでの引退を表明”. ゲキサカ. https://web.gekisaka.jp/news/detail/?63755-48728-fl 2018年9月10日閲覧。 
  5. ^ GK松代直樹選手 今季にて現役引退 Archived 2010年1月4日, at the Wayback Machine. ガンバ大阪オフィシャルサイト
  6. ^ 第17回サポーターミーティング議事録』(プレスリリース)ガンバ大阪、20http://www2.gamba-osaka.net/supporter/meeting17.html2018年9月10日閲覧 
  7. ^ 松代 直樹GKコーチ 退任のお知らせ』(プレスリリース)ガンバ大阪、2021年12月3日https://www.gamba-osaka.net/news/index/no/1970/c/0/year/2021/month/12/2022年1月26日閲覧 
  8. ^ 体育会サッカー部 2022年シーズンより新チーム体制で始動!』(プレスリリース)大阪学院大学体育会サッカー部、2022年1月25日https://www.osaka-gu.ac.jp/ogu_club/news/soccer/2022/new-staff.html2022年1月26日閲覧 
  9. ^ a b c d 2017シーズン ガンバ大阪U-23コーチングスタッフについて』(プレスリリース)ガンバ大阪、20http://www.gamba-osaka.net/news/index/c/1/no/5309/ 

関連項目

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外部リンク

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