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藤ヶ谷陽介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤ヶ谷 陽介
名前
愛称 フジ、ガヤ
カタカナ フジガヤ ヨウスケ
ラテン文字 FUJIGAYA Yosuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-02-13) 1981年2月13日(43歳)
出身地 静岡県浜松市中央区
身長 185cm
体重 82kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1991-1992 日本の旗 中ノ町SSS中ノ町小学校
1993-1995 日本の旗 天竜中学校
1996-1998 日本の旗 磐田東高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2004 日本の旗 コンサドーレ札幌 85 (0)
2005-2013 日本の旗 ガンバ大阪 258 (0)
2014 日本の旗 ジュビロ磐田 8 (0)
2015-2017 日本の旗 ガンバ大阪 2 (0)
2016 日本の旗 ガンバ大阪U-23 4 (0)
通算 357 (0)
代表歴
2001  日本U-20 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
藤ヶ谷陽介

藤ヶ谷 陽介(ふじがや ようすけ、1981年2月13日 - )は、静岡県浜松市中央区出身の元プロサッカー選手ポジションゴールキーパー

経歴

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ユース時代

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幼少時は父親の影響で野球をやっていた。小学校3年次に中ノ町小学校へ転校したが中ノ町サッカースポーツ少年団の指導者でもあった担任教員に誘われてサッカーを始める。同少年団ではフォワードからゴールキーパーまで全てのポジションを経験した。小学校4年次には浜松市の選抜チームである浜松JFCにゴールキーパーとして選出され、以後重要な試合の際はゴールキーパーとして試合に出た。進学先の天竜中学校サッカー部以降はゴールキーパーに専念。中学生の頃は静岡県西部選抜にも選抜され少しずつゴールキーパーとしてプレーする面白さを感じたという[1]

中学校卒業後は磐田東高等学校に入学しサッカー部に入部。同級生のひとりに古橋達弥がいた。藤ヶ谷は後年インタビューにて、高校時代にゴールキーパーとしての基本や考え方を教えてもらったと語っている[1]

プロ入り後

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1999年J2コンサドーレ札幌に入団。サッカー部監督の伝手でJリーグクラブに練習参加し、そのうち唯一獲得のオファーがあったのが札幌であった[2]。同年10月31日のJ2第33節(対戦相手: 川崎フロンターレ)にて74分に佐藤洋平が退場処分を受けた事に伴う途中交代でJリーグデビュー。その後しばらくは出場機会が多くはなかったもののU-18日本代表に選出されている。2003年からは佐藤に代わりレギュラーに定着した[1]

ユース代表としては、2000年アジアユース2001年ワールドユースともにU-19、U-20日本代表のレギュラーとして日本代表のゴールマウスを守った。

2005年ガンバ大阪に移籍した。背番号は22。当初はベンチに座る日々が続いたが、正GKだった松代直樹の故障もあって、この年のシーズン後半からレギュラーとなり、G大阪のリーグ初優勝に貢献した。その後も松代と熾烈なレギュラー争いを繰り広げたが、毎年コンスタントに20試合以上に出場した。

松代が引退した2010年からは背番号を1に変更。移籍後初のリーグ戦全試合フル出場を果たし、名実ともに正GKに定着した。G大阪の公式応援番組『GAMBA TV〜青と黒〜』の年末特別企画『GAMBA TV アウォーズ』では、選手とサポーターが選ぶ影のMVPに選出された。2011年も2年連続で公式戦全試合にフル出場した。

しかし、2012年は開幕から不安定なプレーを露呈。4月28日鹿島アントラーズ戦では、遠藤康からのスルーパスをクリアできず空振りし、大迫勇也にゴールを許したミスを含めて5失点で大敗すると、5月6日大宮アルディージャ戦からは木村敦志にレギュラーを奪われた。6月26日に木村が負傷離脱した後は再びレギュラーに戻るも、28試合出場で58失点を喫し、リーグ戦17試合以上に出場したGKの中で最低のセーブ率を記録するなどシーズン通して安定感の欠ける1年となり、チームも終始低迷。最終節のジュビロ磐田戦で敗れ、J2降格が決まった。

2013年は、公式戦全試合にスタメンフル出場しガンバのJ1復帰に貢献。シーズン終了後、契約満了に伴い9年間プレーしたガンバからの退団が発表された[3]

2014年川口能活が抜けた地元のジュビロ磐田へ完全移籍[4]。移籍後は開幕からスタメンを掴んだが、第8節の横浜FC戦からは八田直樹がスタメンとなり控えとなった。第16節ファジアーノ岡山FC戦では八田の負傷により後半開始から9試合ぶりに出場するものの、翌第17節の水戸ホーリーホック戦から再び控えに回り、結局最後まで出場機会は訪れなかった。

2015年、河田晃兵の移籍と木村敦志の引退により、新たに控えGKを探していた古巣のG大阪からオファーを受け、1月15日に2年ぶりとなる復帰が発表された[5]。リーグ戦の出場は正ゴールキーパー東口順昭が負傷交代したことで投入された1試合のみで、他は東口が日本代表に招集されて不在だったナビスコカップ4試合とスルガ銀行CSに出場した。ただほとんどの試合にはベンチ入りしており、緊急時に出場した際も安定感あるプレーを見せた。

2017年11月29日、現役を引退することを発表した[6]。2018年1月15日ガンバ大阪ジュニアユースコーチ就任を発表した。

人物

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999 札幌 21 J2 2 0 0 0 0 0 2 0
2000 0 0 0 0 0 0 0 0
2001 J1 1 0 0 0 1 0 2 0
2002 4 0 0 0 0 0 4 0
2003 J2 37 0 - 3 0 40 0
2004 1 41 0 - 4 0 45 0
2005 G大阪 22 J1 16 0 4 0 2 0 22 0
2006 26 0 2 0 0 0 28 0
2007 28 0 7 0 4 0 39 0
2008 28 0 4 0 5 0 37 0
2009 22 0 2 0 4 0 28 0
2010 1 34 0 2 0 5 0 41 0
2011 34 0 2 0 2 0 38 0
2012 28 0 1 0 0 0 29 0
2013 J2 42 0 - 2 0 44 0
2014 磐田 39 8 0 - 1 0 9 0
2015 G大阪 18 J1 1 0 4 0 0 0 5 0
2016 0 0 4 0 2 0 6 0
2017 1 0 4 0 1 0 6 0
通算 日本 J1 223 0 36 0 26 0 285 0
日本 J2 130 0 - 10 0 140 0
総通算 353 0 36 0 36 0 425 0

その他の公式戦

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 期間通算
出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 期間通算
2016 G大23 18 J3 4 0 4 0
通算 日本 J3 4 0 4 0
総通算 4 0 4 0
  • 2006年
  • 2009年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2010年
    • スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2006 G大阪 22 6 0 -
2008 9 0 3 0
2009 2 0 -
2010 1 5 0 -
2011 7 0 -
2012 5 0 -
2015 18 0 0 -
2016 1 0 -
2017 0 0 -
通算 AFC 35 0 3 0

その他の国際公式戦

タイトル

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クラブ

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コンサドーレ札幌
ガンバ大阪

代表歴

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脚注

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  1. ^ a b c 尾崎ルミ「INTERVIEW GK1 藤ヶ谷陽介 まだ伸びしろはある」エル・ゴラッソ No. 1055(2011.9.2)p. 4-5
  2. ^ 高村美砂 【ライターコラムfromG大阪】現役最後のクラブは「大好き」なガンバで…藤ヶ谷陽介、19年のプロ生活に終止符 サッカーキング 2017.12.12付記事
  3. ^ 藤ヶ谷 陽介選手 契約満了のお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2013年11月26日
  4. ^ 藤ヶ谷陽介選手が完全移籍加入 ジュビロ磐田オフィシャルサイト、2013年12月24日
  5. ^ 藤ヶ谷 陽介選手 ガンバ大阪へ完全移籍のお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2015年1月15日
  6. ^ 藤ヶ谷陽介選手 現役引退のお知らせ(再掲出) ガンバ大阪オフィシャルサイト、2017年11月29日
  7. ^ GK 藤ヶ谷陽介選手に第1子誕生! ガンバ大阪オフィシャルサイト、2009年6月16日

関連項目

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外部リンク

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