コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

森﨑浩司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森﨑 浩司
名前
愛称 コージ
カタカナ モリサキ コウジ
ラテン文字 MORISAKI Koji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-05-09) 1981年5月9日(43歳)
出身地 広島県広島市安芸区
身長 177cm
体重 78kg
選手情報
ポジション MF
利き足 左足
ユース
日本の旗 矢野FC(広島市立矢野小学校
1994-1996 日本の旗 広島市立矢野中学校
1997-1999 日本の旗 サンフレッチェ広島ユース
吉田高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2016 日本の旗 サンフレッチェ広島 335 (65)
通算 335 (65)
代表歴
2001  日本U-20 2 (0)
2004  日本U-23 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

森﨑 浩司(もりさき こうじ、1981年5月9日 - )は、広島県広島市安芸区出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者。現役時代のポジションはミッドフィールダー

現在はサンフレッチェ広島のアンバサダーを務める。

来歴

[編集]

現役時代

[編集]

地元矢野小学校で兄・和幸と共に小学2年からサッカーをはじめる[1]山出久男から指導を受け、小学6年次に兄と共に全日本少年サッカー大会に出場している[2]佐藤康之皆本勝弘は矢野中学校の先輩[3]。矢野中学校からサンフレッチェ広島ユースへ入団。同級生は、兄・和幸、駒野友一久保田学木村孝洋から指導を受けた。攻撃的なMF・左アウトサイドとして活躍した。1999年高校3年次には2種登録選手となり、Jサテライトリーグでのパフォーマンスがエディ・トムソン監督に認められ、同年11月20日ガンバ大阪戦に初ベンチ入りした[注 1]

2000年にサンフレッチェ広島に入団、同期入団は、和幸、駒野、八田康介松下裕樹山形恭平中山元気[1][4]。骨折など怪我が多く、同年代の選手よりもなかなか出場機会が与えられなかった。翌2001年Jリーグ初得点試合で2ゴールを上げている[5]。2002年になりA契約選手に移行、主力として絡めるようになる[6]

年代別代表では、2001年に和幸および駒野とともに、西村昭宏率いるワールドユースU-20日本代表に選出されて出場[5] したが、キャプテンも任される事がある和幸に対し、控えが中心であった。しかしその後山本昌邦率いる五輪代表に選出されると、和幸は阿部、今野、鈴木啓らに押し出され構想外となる中、左サイドは層が薄かった事もあり、2003年のアテネ五輪予選、2004年のアテネ五輪本戦では左アウトサイドのレギュラーとして出場した。[1][7][8]

一方広島では小野剛監督の下、2003年からJ2に降格すると移籍した藤本主税の代わりとして攻撃的なMFとして活躍[9]、同年末のJ1昇格に貢献した。以降も中心選手として活躍するも、2002年から続く年代別代表とJ2昇格争い、アテネ五輪と精神的に厳しい戦いが続いたため、2005年の春先にバーンアウト症候群にかかっている[10]。以降控えに回り[11]、怪我や守備面からなかなか信頼を得ることが出来なかったが小野が辞任した、2006年ミハイロ・ペトロヴィッチに監督が代わってからは才能を見出され[12]、中盤の中心選手として活躍[13]

2008年末ごろからオーバートレーニング症候群の傾向が見られるようになり、2009年1月28日に公式発表、同年8月にチーム合流、同年11月に実戦復帰した[14]

2012年、サンフレッチェ広島のJリーグ制覇に貢献。

2016年10月20日、今シーズン限りで現役引退を表明[15]。10月29日、現役最後のホーム最終戦・アビスパ福岡戦ではスタメンで出場し、1得点を決めて有終の美を飾った[16]

引退後

[編集]

2017年1月5日、サンフレッチェ広島の初代アンバサダーに就任したことが発表された[17]

人物

[編集]
プレースタイル
精度の高い左足からのミドルシュートや前線への飛び出しが得意なゲームメーカー。五輪で務めた左ウイングバックだけでなく、トップ下フォワード、兄と同じセンターハーフと多数のポジションでプレーできる。広島ではセットプレーも任される。[1][7][11][18]
双子
広島でチームメイトだった森﨑和幸は「二卵性双生児[注 2]」の兄であり、佐藤勇人/佐藤寿人兄弟と共に、Jリーグ史上初の双子選手[19]
  • 2004年5月5日J1・1st第8節対セレッソ大阪戦(長居スタジアム)にて初アベックゴール(48分和幸、89分浩司)を達成。Jリーグにおいて同じチームに所属する兄弟が、同一試合でアベックゴールを達成した例は森﨑兄弟と山瀬功治/山瀬幸宏兄弟(2007年に達成)、高木俊幸/高木善朗兄弟(2010年に達成)の三組のみ。
  • 2007年から公式用ユニフォーム背番号の下に「KOJI」と下の名前が入るようになった。兄の和幸のほうは「KAZU」。 世代別の代表の公式戦では、名前のイニシャルが和幸、浩司ともに「K」のため、仕方なくユニフォームには「MORISAKI」とだけ記されていた。
6億を呼ぶ男
2008年度のスポーツ振興くじで1等6億円4口が2回発生した。その2回の共通点として、森﨑浩が2節共に得点を挙げていることから、夕刊フジが同年9月9日付けの記事で「6億を呼ぶ男」として紹介した。

所属クラブ

[編集]
ユース経歴
プロ経歴

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000 広島 22 J1 4 0 2 0 0 0 6 0
2001 15 2 2 1 0 0 0 3 2
2002 7 22 6 5 0 4 1 31 7
2003 J2 37 10 - 4 3 41 13
2004 J1 25 7 3 0 1 0 29 7
2005 14 1 5 0 0 0 19 1
2006 30 4 5 3 2 1 37 8
2007 32 2 6 0 5 3 43 5
2008 J2 40 14 - 4 1 44 15
2009 J1 3 0 0 0 0 0 3 0
2010 27 3 3 1 0 0 30 4
2011 30 5 2 0 1 0 33 5
2012 28 7 5 2 1 0 34 9
2013 6 1 0 0 0 0 6 1
2014 21 1 4 0 2 0 27 1
2015 9 1 3 0 0 0 12 1
2016 5 1 2 1 1 0 8 2
通算 日本 J1 258 41 45 7 17 5 321 53
日本 J2 77 24 - 8 4 85 28
総通算 335 65 45 7 25 9 406 81

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2010 広島 7 4 1 -
2012 - 3 0
2013 1 0 -
2014 2 0 -
2015 - 0 0
2016 1 0 -
通算 AFC 8 1 3 0

出場歴

[編集]
アンダーカテゴリー
クラブチーム

タイトル

[編集]

クラブ

[編集]
サンフレッチェ広島

アンダー代表歴

[編集]

出演

[編集]

CM

[編集]

テレビ

[編集]
  • 情熱サンフレッチェ(RCCテレビ) ナビゲーター 毎週金曜22:54~23:00
  • 広島市広報番組『ひろしま日常劇場 ご老公様 出番ですよ』(2018年2月4日#44 - 2019年3月24日#100終幕、RCCテレビ) もり助 毎週日曜21:54~22:00

ラジオ

[編集]
  • おはよう中国NHKラジオ第一)(中国地方ローカル)木曜日コーナー:スポーツ健康情報(サッカー情報)電話での生出演(不定期)(2022年4月7日 -) 

生配信

[編集]
  • サンフレ応援!森崎浩司の“Foot style”(2018年09月22日 - 、ぽるぽるLIVE)紙屋町シャレオぽるぽるSTUDIOから不定期配信

注釈

[編集]
  1. ^ この試合には兄の和幸がチーム史上初高校生Jリーガーとして、リーグ戦初出場している
  2. ^ 似ているためよく勘違いされるが、二卵性双生児である。簡単な見分け方として、左利きで鼻の下にホクロがない方が弟の浩司、右利きでホクロがある方が兄の和幸。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d スペシャルインタビュー Vol.14】サンフレッチェ広島:森﨑浩司選手”. J's GOAL (2005年9月12日). 2010年12月19日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ Jリーグで活躍する主な決勝大会卒業生”. 読売新聞. 2010年12月19日閲覧。
  3. ^ 地元の誇り サンフレ写真展”. 中国新聞 (2013年2月14日). 2013年2月15日閲覧。
  4. ^ ゴールデンルーキー サンフレ7人衆”. 中国新聞 (2000年2月12日). 2010年12月19日閲覧。
  5. ^ a b 下積みのつらさ一掃 プロ初ゴール”. 中国新聞 (2001年9月29日). 2010年12月19日閲覧。
  6. ^ 2ゴールブレイク予感 森崎浩”. 中国新聞 (2002年3月3日). 2010年12月19日閲覧。
  7. ^ a b キリンチャレンジカップ2004”. キリン. 2010年12月21日閲覧。
  8. ^ 持ち味発揮 高松・田中達・森崎浩が奮闘”. 中国新聞 (2004年8月14日). 2010年12月19日閲覧。
  9. ^ トップ下 森崎浩が起点”. 中国新聞 (2003年3月12日). 2010年12月19日閲覧。
  10. ^ 【ヤマザキナビスコカップ:第3節 広島 vs 川崎F プレビュー】”. J's GOAL (2005年5月20日). 2010年12月19日閲覧。
  11. ^ a b サンフレッチェ広島・戦力分析レポート”. J's GOAL (2005年2月25日). 2010年12月19日閲覧。
  12. ^ ピンポイント 貫いた攻撃サッカー”. 中国新聞 (2006年7月22日). 2010年12月19日閲覧。
  13. ^ サンフレ戦力分析<中>中盤 若手成長で層に厚み”. 中国新聞 (2008年3月6日). 2010年12月19日閲覧。
  14. ^ 森崎浩、11カ月ぶり勇姿 21日名古屋戦”. 中国新聞 (2009年11月20日). 2009年11月20日閲覧。
  15. ^ 森崎浩司選手、現役引退のお知らせ”. サンフレッチェ広島 (2016年10月20日). 2019年11月19日閲覧。
  16. ^ ホーム最終戦で有終弾! 引退表明の森崎浩司「夢は広島にサッカー専用スタジアムを」 サッカーキング 2016年10月29日
  17. ^ 森崎浩司氏「サンフレッチェ広島 アンバサダー」就任のお知らせ”. サンフレッチェ広島 (2017年1月5日). 2019年11月19日閲覧。
  18. ^ 森崎浩輝き再び セットプレーで鋭さ増す左足”. 中国新聞 (2010年4月2日). 2010年12月21日閲覧。
  19. ^ あの選手も実は双子!? 世界で活躍する仲良しツインズプレーヤーたち【編集部フォーカス】 フットボールチャンネル 2018年1月19日

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]