松尾徳三郎
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松尾 徳三郎(まつお とくさぶろう、1845年12月5日(弘化2年11月7日[1])- 1915年(大正4年)5月31日[2])は、明治期の実業家、政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]大和国宇陀郡松山町(のち奈良県宇陀郡松山町、大宇陀町を経て現宇陀市)で[3]松尾四良三郎の長男として生まれた[1]。1885年(明治18年)4月、家督を相続[1]。学区取締、奈良県会議員、大阪府会議員、同常置委員、勧業諮問会委員、町村会議員、連合町村会議員となる[2][3]。大和銀行頭取、奈良県農工銀行取締役も務めた[1][2]。
1894年9月の第4回衆議院議員総選挙において奈良2区から大手倶楽部所属で立候補して当選した[4]。衆議院議員を1期務め[2]、1898年3月の第5回衆議院議員総選挙は不出馬。1911年(明治44年)9月、隠居して家督を二男・四郎に継承した[5]。1915年に死去した。