松平光領
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化14年4月22日(1817年6月6日) |
死没 | 天保12年6月24日(1841年8月10日) |
改名 | 光直(初名)、光領 |
別名 | 広五郎、広助、広之助(通称) |
墓所 | 長野県松本市県の戸田家廟園 |
官位 | 従五位下・主膳正 |
藩 | 信濃松本藩世嗣 |
氏族 | 戸田松平家 |
父母 |
父:松平光年、母:不詳 養父:松平光庸 |
兄弟 | 光領、松姫ら |
妻 | 蜂須賀治昭の娘・光姫 |
松平 光領(まつだいら みつおさ)は、江戸時代後期の信濃国松本藩の世嗣。通称は広五郎、広助、広之助。官名は従五位下・主膳正。
略歴
[編集]第7代藩主・松平光年の四男として誕生した。初名は光直。正室は蜂須賀治昭の娘・光姫。
文政6年(1823年)8月24日、光年の養嗣子である松平光庸の順養子となる。光庸は第6代藩主・松平光行の子で光年の甥、光領の従兄にあたる。文政10年(1827年)11月15日、第11代将軍・徳川家斉に拝謁する。天保8年(1837年)に光年が死去し、光庸が家督を相続すると、同年12月16日(1838年)、光領は従五位下・主膳正に叙任する。しかし、自身は家督を相続することなく、天保12年(1841年)に死去した。代わって、光庸の三男の光則が嫡子となった。