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松平義当

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松平 勝当
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 元文2年12月1日1738年1月20日
死没 享和元年10月16日1801年11月21日
改名 幸之丞(幼名)→勝当
戒名 大滋院空誉常夏慧念
墓所 岐阜県海津市南濃町上野河戸の行基寺
官位 従四位下左近衛少将弾正大弼、従四位上
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
美濃高須藩
氏族 尾張徳川家高須松平家
父母 父:徳川宗勝
母:馬場氏娘・お登世の方
養父:松平義裕
兄弟 房姫、徳川宗睦義敏、豊姫、勝当
勝長勝綱竹腰勝起、邦姫、
井上正国内藤頼多勝鷹、品姫、
恭姫、陽姫、内藤政脩ら15男11女
維君(前田斉広正室のち近衛基前室)
養子:義居
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松平 勝当(まつだいら かつまさ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名美濃国高須藩7代藩主。官位従四位上左近衛少将弾正大弼

生涯

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尾張藩主・徳川宗勝の五男として誕生。父・宗勝の1字を受け勝当(かつまさ、旧字体:勝當)と名乗る。

寛延元年(1748年)9月15日、徳川家重家治父子に拝謁する。同年12月21日、従五位下・弾正大弼に叙任する。ただちに従四位下・左少将に昇進する。寛政7年(1795年)9月28日、先代藩主・松平義裕の死去により、末期養子として家督を相続した。寛政11年12月18日(1800年)、従四位上に昇進する。享和元年(1801年)10月16日、65歳で死去し、跡を養嗣子の義居が継いだ。

系譜

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父母

側室

  • 三沢 ー 佐合氏
  • 法琳院

子女

養子