松平義孝
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄7年9月27日(1694年11月14日) |
死没 | 享保17年5月21日(1732年6月13日) |
改名 | 万三郎(幼名)→義孝 |
霊名 | 高徳院尊譽超岳英隆大居士 |
墓所 | 美濃高須の行基寺 |
官位 | 従四位下日向守、左近衛権少将、摂津守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家継→吉宗 |
藩 | 美濃高須藩主 |
氏族 | 尾張徳川家→高須松平家 |
父母 | 父:徳川綱誠、母:里見氏娘・唐橋 |
兄弟 |
徳川吉通、徳川継友、義孝、通温、 徳川宗春、光現院ら22男18女 養兄弟:馨香院 |
妻 | 正室:松平資俊娘 |
子 |
元姫 養子:友淳 |
松平 義孝(まつだいら よしたか)は、江戸時代中期の大名。美濃国高須藩2代藩主。官位は従四位下・日向守、左近衛権少将、摂津守。徳川宗春の兄。
生涯
[編集]尾張藩主・徳川綱誠の十五男として誕生。母は側室の唐橋(里見氏・卓然院)。
元禄14年(1701年)叔父で初代藩主・松平義行の養子となり、正徳5年(1715年)に家督を相続した。男子がなかったため、叔父(義行の弟)松平友著の子・友淳(後の尾張藩主徳川宗勝)を養子とし、義淳と名乗らせて後嗣とした。
享保17年(1732年)に死去した。享年39。
系譜
[編集]父母
正室
- 松平資俊の娘
子女
- 元姫 ー 茂登姫、松平頼寛正室、生母は正室
養子