松平直興
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(松平四山から転送)
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政12年9月25日(1800年11月11日) |
死没 | 嘉永7年閏7月24日(1854年9月16日) |
別名 |
英三郎(幼名) 四山、遠山、堂如、南山、一鏡、舌々子、宗玄、舌翁、閑花林、三世貞佐、東幻住庵、不二庵、知足、瓢界、孤円斎、玄翁、孫円斎(法号) |
戒名 | 不二庵 |
墓所 | 天徳寺 |
官位 | 従五位下、駿河守、主計頭、志摩守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 出雲母里藩主 |
氏族 | 越前松平家 |
父母 | 父:松平直方、母:松平輝和の娘 |
妻 | 正室:松平直恒の娘、側室:中西氏 |
子 | 娘(松平直温正室)、養子:直温 |
松平 直興(まつだいら なおおき)は、出雲母里藩の第8代藩主。直政系越前松平家母里藩分家8代。
経歴
[編集]寛政12年(1800年)9月25日、第7代藩主・松平直方の長男として生まれる。文化14年(1817年)3月25日、父の隠居により家督を継ぐ。財政難を再建するため、黒川羽左衛門を登用して新田開発、灌漑用水の改良を行なった。
しかし実際は文学肌の藩主で、田川鳳朗に俳句を学び、小林一茶の「おらが春」にも彼の俳句が残されている。また、俳句で使った号は10を越えるものである。その他、狩野派の絵画、嵯峨様の書道、道具名器の蒐集にも傾倒した。
天保14年(1843年)9月13日、病気を理由に家督を娘婿で養子の直温に譲って隠居する。嘉永7年(1854年)閏7月24日に死去した。享年55。
母里藩中興の名君といわれている。