松平宗弥
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 貞享2年(1685年) |
死没 | 正徳元年11月26日(1712年1月4日) |
官位 | 従五位下・日向守、美作守、主税頭 |
藩 | 常陸笠間藩世嗣→遠江浜松藩世嗣 |
氏族 | 本庄氏→本庄松平家 |
父母 | 松平資俊、佐野勝由娘 |
兄弟 |
宗弥、宗長、宗胡、富田知徳、 鳥居忠瞭正室、松平義孝正室、 松平久瑞正室ら |
妻 | 松平定重娘 |
子 | 資順 |
松平 宗弥(まつだいら むねみつ)は、江戸時代中期の常陸国笠間藩、のち遠江国浜松藩の世嗣。官位は従五位下・日向守、美作守、主税頭。
略歴
[編集]笠間藩2代藩主(のち浜松藩初代藩主)・松平資俊の次男として誕生。母は佐野勝由の娘。正室は松平定重の娘。
資俊の嫡男として育ち、元禄12年(1699年)徳川綱吉に御目見する。翌元禄13年(1700年)叙任し、宝永2年(1705年)には父と共に松平姓を賜る。しかし、家督相続前の正徳元年(1711年)に27歳で早世した。死去した時、長男・資順はまだ生まれておらず、弟はいずれも早世または他家に養子に出ていたため、母方の叔父である資訓が養子に迎えられ、代わって嫡子となった。