松平康官
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 明暦3年(1657年) |
死没 | 享保12年4月9日(1727年5月29日) |
改名 | 松千代丸(幼名)、康官、優山(法号) |
別名 | 康長、康賢、康程 |
戒名 | 泰嶺院殿相誉寂道至閑大居士 |
墓所 | 京都府京都市左京区黒谷の金戒光明寺 |
官位 | 従五位下・主計頭、周防守、弾正少弼 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱→綱吉 |
藩 | 石見浜田藩主 |
氏族 | 松井松平家 |
父母 | 父:松平康映、母:不詳 |
兄弟 | 康官、康明、村瀬康致、松仙院ら |
妻 | 阿部正能の娘 |
子 | 康員、康房 |
松平 康官(まつだいら やすのり/やすひろ)は、石見国浜田藩の第2代藩主。松井松平家3代。
生涯
[編集]明暦3年(1657年)、初代藩主・松平康映の三男として浜田で生まれる。兄が早世したために世子となり、寛文11年12月28日(1672年)に従五位下・主計頭に叙位・任官する。延宝2年12月(1675年)に父が死去したため、延宝3年(1675年)2月25日に家督を継ぎ、4月に周防守に遷任する。
延宝4年12月15日(1677年)、弟の康明に邑智郡八色石で新田2000石を分与した。宝永2年(1705年)1月27日、家督を長男の康員に譲って隠居し、弾正少弼に遷任する。享保12年(1727年)4月9日に浜田で死去した。享年71。
系譜
[編集]父母
- 松平康映(父)
正室
- 阿部正能の娘
子女